AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL

「話題の新刊」に関する記事一覧

脳が壊れた
脳が壊れた 41歳のときに脳梗塞で緊急入院した体験をまとめた。呂律がまわらず感情抑制がきかず涙が止まらない日々。負の連続だが、興味津々で読める。  本書が独特なのは『最貧困シングルマザー』などで取材した者たちの態度との共通点を見いだしていくところだ。落ち着きがない。目を合わすことができない。当時いぶかしんだことが今の自分に当てはまる。そこから貧困層に必要なのは医療ケアだと推論する過程が面白い。  もどかしい日々の中、脳腫瘍の大手術を受けた妻のことも考える。巻末には妻からの「読者へ向けた手紙」が添えられ、夫の病気の結果について「良いが七、悪いが三」と書かれている。脳梗塞の病後に「性格が変わる」といわれるが、自身の脳内で何が起きたかを解析している部分は、患者をもつ家族への貴重な情報となるだろう。
ベイリィさんのみゆき画廊 銀座をみつめた50年
ベイリィさんのみゆき画廊 銀座をみつめた50年 画廊の街・銀座で新人の登竜門として知られ、50年の歴史に幕を閉じたみゆき画廊。アシスタントとして先代オーナーとともに画廊を守った著者が、運営に試行錯誤を繰り返した「ベイリィ」こと加賀谷澄江の生きざまを綴る。  人気の貸画廊で、若く、才能のある芸術家を応援する気持ちがあった。資産家の令嬢だったが資金繰りは自転車操業。建築家に「ここで、画廊のマダムみたいなことをやろうとしているの?」と冷やかされると、「日本の建築家がもっと美術のことを勉強して、建築に美術を使ったらどうなの」と言い返し、パソコン操作に行き詰まる著者のためには、「あなた、ちょっと来てくださらない?」と近所の書店にいた男性を連れてくる。作家らが素っ気なさの中に好意を感じ取ったという、凛とした人柄が偲ばれる。
もういちど読む山川日本戦後史
もういちど読む山川日本戦後史 高校の教科書を大人用に書き改めたシリーズの一冊。  終戦の1945年から2015年まで、70年の激動の時代が政治、経済、国際情勢、社会問題のみならず、文化、スポーツ、芸能、風俗にいたるまで解説されている。  敗戦の混乱から立ち直るために日本の政治はどのように動き、復興のためにどんな経済政策が実施されたのか。高度経済成長の「影」に潜むアメリカの占領政策の影響とは。そして、この70年間に、日本人は何を棄てて、何を守り得てきたのだろう。  少子高齢化、環境破壊、エネルギー問題、食糧問題、情報管理など、多くの難題を抱えて、この国はどこへ向かっていこうとしているのか。高校時代とは違う角度から読める新鮮さがいい。曲がり角にきた立憲主義、民主主義の再考を促す書でもある。
映画を撮りながら考えたこと
映画を撮りながら考えたこと ディレクター兼映画監督の是枝裕和が携わってきた作品の制作秘話を明かす。撮影中の失敗談、映画祭の裏話等が、時には反省の念とともに、時には批判を伴う鋭い口調で綴られている。  特に印象的な部分は、制作中に是枝が投げかける疑問だ。放送とは何か、演出とは何だろうかなど様々な疑問をぶつけながら真剣に答えを見つけていく姿勢から、是枝が愛される監督となった理由を納得させられた。  ペ・ドゥナ主演の映画「空気人形」をめぐっては、すごく好きであるが、「ちょっとコントロールを失ってしまった」と打ち明けている。常に冷静な姿勢を崩さない是枝の素顔がうかがえて少しほっこりする。  影響を受けた人や映画作品などの注も充実しており、映画好きには見逃せない一冊に仕上がっている。
道徳感情はなぜ人を誤らせるのか
道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪は過去幾度となく悲劇を生んできたが、なぜなくならないのか。戦時中に発生した少年犯罪の浜松事件、戦後の動乱期の二俣事件という連続性のある二つの事件を題材に冤罪のメカニズムを解き明かす。  冤罪の背景には杜撰な捜査や司法が浮かび上がるが、著者の視座には単一の事件にとどまらない奥行きがある。政治哲学や進化論を援用しながら人間の共感や道徳感情に冤罪の解を求める。それらは犯罪行為への抑止になる一方、一歩間違えば加害者への憎悪になり、冤罪が生まれるとの指摘は新鮮だ。  事件そのものの考証も面白い。巧みなでっちあげで戦中戦後に名刑事の名をほしいままにした男の転落や、警察の不正を告発した元刑事への周囲の仕打ち。人間の思い込みに抗う難しさを、あぶり出している。
我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!
我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ! 尖鋭的詩人が自らの生い立ちと内面の軌跡、そして国内外の芸術家たちとの交流を語りつくす。  内向的でとじこもりがちなところがあり、時代の暗い沼に触れた、冷気のようなものを終生持っているという著者。駅前に3人の白衣を着た死人が走っていた、幼年時代に見た幻覚を鮮明に覚えているという。キャバレーのボーイをして水商売とやくざの世界に触れた学生時代は、自分の魂をどのように生かすかで火の玉となり、乱読。太宰やドストエフスキー作品の底から聞こえてくる声を読んだ。  創作にあたり、自らをぎりぎり狂う寸前までもっていく。アイオワで過ごしたときは英語を拒絶し、言語を枯らすように引きこもり、内的言葉に耳を澄ませ、その根底にある歌をつかもうとした。魂の激しさにおののく。

この人と一緒に考える

余命二億円
余命二億円 不慮の事故で植物状態となった父親の遺産は2億円。主人公である次男の田村次也は延命治療を望み、長男の一也は異を唱え、「延命治療など、おやじは望んじゃいない」と言う。二人の妻や子供、父親の恋人、会社の幹部、弁護士らを巻き込み、事態は田村家の崩壊へと向かっていく。  人は誰でも自分の人生の主役。その立場から発する言葉、行動はその人にとっての正論である。延命治療と遺産相続の渦中で、二人の息子は決断を迫られ、悩み、争い、疲労し、次也は自分の心の奥底まで“正しさ”を求めてさまよっていく。 『八月の青い蝶』でデビューした著者の今作では、読者は物語の展開に驚き、息子たちの言動に振り回され、くたくたになって結末にたどり着くはずだ。しかし読後は、力強い生命力に包まれることになるだろう。
〈花〉の構造 日本文化の基層
〈花〉の構造 日本文化の基層 書家が、日本語において「花」とは何かを構造的、歴史的に説き明かした文化論。  中国語の「華」は、花の姿をかたどった象形文字で、それを省略したのが「花」。漢字語の中国で、「花」は政治的エリートが備えるべき品格や品性、佇まいの象徴として見られていた。それに対して古今和歌集、源氏物語に見られるひらがな語は季節を歌いあげ、性愛を物語る表現をゆたかに作り上げてきた。咲いている花のもとに男の鳥が通ってくるという構図が下地にある。ひらがなが性愛を愛する日本人を創ったのだ。その他、東アジアで共通の象徴的な花といえば「梅」であることや、花言葉の書物の三つを挙げて比較するなど興味がつきない。東アジアでは「ぼたん」に王者の風格を見るが、花言葉には恥じらいや人見知りの意味もあるなど楽しい。
ふたりの季節
ふたりの季節 50代半ばの由香は立ち寄ったカフェで、昔の恋人・拓と再会する。一瞬にして蘇る30年以上前の記憶。ふたりが過ごした時代は、学園紛争、ジャズ喫茶、三島由紀夫の自殺、反戦フォーク……そんなキーワードが並ぶ時代だった。  多感な10代後半にふたりは出会い、恋をし、大学受験へ。トランジスタラジオから聴こえてくる曲に夢中になり、会えない時は、便箋やレポート用紙に詩を書き、ポストに投函する。インターネットも携帯電話もない時代のふたりの日々を、現在の若い読者はどう感じるのだろうか?  過ぎ去った日々を美化することも否定することも、感傷過多になることもなく、受け入れるふたり。そこに現在のふたりの会話が交差する。これからを予感させる終わり方は鮮やかだ。50代の男女にとって希望の物語だと感じた。
男が働かない、いいじゃないか!
男が働かない、いいじゃないか! 「イクメン」に代表されるように男性の家事参加は進んできたが、日本では男性が40年以上働き続けることで会社や家計が成り立つ前提は変わらない。低成長の時代にも男はかつての「男」の姿を演じ続けなければいけないのか。男性が抱える感情の矛盾を社会構造とつなげて考えた一冊だ。 「無職って恥ずかしくないんですか」「低収入の男性は結婚できないって本当ですか」「世の中、間違っていますよね」。就職や結婚、社会問題まで、多くの素朴な質問に答える形で本書は進む。 「常識」にのみ込まれずに、自分の頭で考え続けることが重要だと著者は訴える。「常識」が常識である根拠は意外にも脆い。  なぜ日本の男は生きづらいのか。社会は変われるのか。若い会社員や子供を持つ中高年は必読の一冊だ。
今はちょっと、ついてないだけ
今はちょっと、ついてないだけ バブル期に一世を風靡した写真家、元映像プロデューサー、メイクアップアーティスト志望アラサー、元人気芸人。書名そのままに、くすんだ日々を過ごす中年の男女が、敗者復活のきっかけを模索する連作短編集だ。  物語の核となる四十男の造形がいい。かつては人気ドキュメンタリー番組で、大自然と対峙していた。実は演出だったその立ち居振る舞いを、登場人物の誰もが記憶している。男の達観したようなたたずまいと物静かな人柄、確かな写真の腕前のもとに人が集まり、ゆるくつながっていく。さながら温度の低い西部劇だ。  彼らが培ってきたスキルは他人を助け、やがて自分を立ち直らせていく。それぞれの人生が小さく再始動する瞬間が、小さくないカタルシスをもたらす。薄日が差すようなラストまで、読後感はさわやかである。
みんなの映画100選 あのシーン あのセリフ
みんなの映画100選 あのシーン あのセリフ 100本の映画のワンシーン、または鍵となる台詞が「青春」「愛」「アクション」「SF」「コメディ」などの六つのカテゴリーに分けられ、イラストと短文で紹介されている。  取り上げられるのは1950年代から現在までのアメリカ映画が中心。スピルバーグ監督の名作「E.T.」の「いつもここにいるよ」のように有名なものもあれば、ツワイゴフ監督の青春映画「ゴーストワールド」の「いい人間関係を築けるのは馬鹿だけよ」のように、その言葉の直接的な意味に対して納得しづらいものもある。  ただ、どれにも共通するのは、映画を愛し抜く著者たちの姿勢だ。批評というより、一人の映画好きとして、一つひとつの作品に寄り添っている。映画ファンだけでなく、紹介された映画をまだ見ていない人にも広く開かれた一冊だ。

特集special feature

    おめかしの引力
    おめかしの引力 ふらっと入った伊勢丹で、気がつけば両手に紙袋を抱えている。高価な洋服も「一生着るとしたら一日数百円だ」と日割り計算し、なかば強引に自分を納得させて買ってしまう。それなのに、家に帰れば出番を待つ服たちがクローゼットにいっぱい。 「わたしのおめかしとは失敗の連続である」。そんな著者が「おめかし」について朝日新聞紙上で6年間連載したエッセイ約70話が収録されている。「おしゃれ」と違って「おめかし」には他人の評価が必要ない。自分がいいと思うものを全力で肯定する。ゆえに失敗もたくさんする。しかし、それを打ち消すくらい最高の気分にもさせてくれる。だから「おめかし」はやめられない。  さまざまな失敗談にくすっとさせられながら、いつの間にか「おめかしの引力」に引き寄せられる。
    いい子に育てると犯罪者になります
    いい子に育てると犯罪者になります 「しっかりしなさい」「弱音をはいてはいけません」。幼少期のこうした「しつけ」が子供を苦しめる場合があると本書は語る。学校教育や刑務所の矯正教育に携わった著者の子育て論は我々の常識をひっくり返す。  例えば、我慢強い子供は決して手放しで褒められないという。しつけは必要だが、子供への抑圧を必ず伴う。過度の我慢を強いれば、一人で悩みをかかえこむことにつながりかねない。  自分の考えを他者に明確に伝え、甘えて助けてもらう姿こそ、子供の理想ではないかと著者は提唱する。  とはいえ、それは子供以前に、口下手、甘え下手な日本人の多くにとって難しいのが現実だ。大人が凝り固まった価値観を捨て、大人らしさ、男らしさから解放されることこそが子育ての一歩であるとの著者の指摘はもっともだ。
    東京の、すごい旅館
    東京の、すごい旅館 旅先から最も外れやすい場所──それは「地元」だ。関東在住者であれば足元ゆえ、地方在住者であれば距離感ゆえ、見落としやすい19の旅館を写真とともに紹介した。  ビジネスエリア・お茶の水にひっそり佇む露天風呂つきの宿、2003年にオープンし、粋な壁画が風呂場でお出迎えする下町・三ノ輪の宿……仕事の合間や休日の「逃避先」選定に使うだけで十分楽しい。さらに一歩進み、宿のなりたちから街の「裏歴史」を知るという読み方もある。広々とした空間を持ち、現在は運動部の合宿によく利用されるという立川市の和風旅館は、かつて米軍基地の街といわれた同市で、米兵相手の店で働く従業員用宿舎を一般向けに改装したのが出発点だとか。よくある「観光ガイドブック」の枠には収まらない奥深さを堪能あれ。
    人生はマナーでできている
    人生はマナーでできている 「○○してはいけません」はルール。「通常○○するもの」は前例。では、マナーとは?  ノンフィクション作家の著者が、「小笠原流礼法」から、自称「電車通勤士」、五輪体操金メダリスト、ベジタリアンまで、その世界の「やり方」のきわみを取材。ラーメン店の行列に並んだり、気合をこめて社交ダンスを体験したり。  その場その場で交わされる問答が面白い。とくに、この道21年のベテラン仲人を訪ねる「結婚するつもり?」の章。「いい人がいれば」なんて言っていたら結婚できるわけがない。「誰と結婚しても同じよ」。成就のカギは「犬のイメージですよ」と、お見合い演出のノウハウを聞きだす。笑いをこらえつつ、黙考してしまう話が並ぶ。 「笑いヨガ」教室での、笑顔と心との関係についての説明には、なるほどと納得させられる。
    監察医が泣いた死体の再鑑定 2度は殺させない
    監察医が泣いた死体の再鑑定 2度は殺させない ベストセラー『死体は語る』の著者が書き下ろした、死体の再鑑定にまつわる九つのエピソード。  警察で一度検死された後、監察医である著者の元に舞い込む再鑑定の依頼。再鑑定が依頼されるのは、その死に漂う違和感があるから。  再鑑定を行い、死体が「語る」検死の矛盾をつく。再鑑定により、自殺とされた検死結果が覆ることもある。〈語弊があるかもしれないが〉と前置きをしながら、再鑑定はドラマチックだと、著者はいう。エピソードで語られる、著者が実際に経験した再鑑定結果は、時に胸をうち、時にホッと安堵する(死そのものは悲しいことだが)。そのカタルシスは、どこか短編探偵小説集を読んでいるようでもある。  サブタイトルの「2度は殺させない」に込められた強い思いが、響く。
    ストーカー加害者
    ストーカー加害者 2000年に規制法が成立、今や日常語となった「ストーカー」。問題と闘うためにこそ「加害者を知らねば」と、ドキュメンタリー番組のディレクターがかれらと直接対峙したルポだ。  加害者カウンセリングに訪れる、男女3名のインタビューが克明に紹介される。30代のある女性は好きな芸術家を「先生」と呼び、ツイッターやメールで頻繁に連絡を繰り返す。受信拒否されても「どうにかして繋がりを保ちたい」と連絡量は増えたという。外見や仕事上問題がなくとも、ひとたび恋愛感情を抱くと相手の気持ちをまったく想像できない。「追う」ことが生活のすべてとなるその姿は「依存症」と著者は言う。SNS上での匿名の個人攻撃が問題となる現在、その「症状」は誰にでも起こりうるとリアリティーを感じずにいられない。

    カテゴリから探す