週刊朝日
第1210回 花屋の看板猫らしい立派な最期
昨年の“母の日”に、私が勤める花屋の看板猫、ヒロシが旅立ちました。 表参道界隈で外猫として暮らしていた彼(雄、推定13歳)がお店の子になって12年。漆黒の毛皮に鮮やかなグリーンアイズのイケメン(写真)で、辺りではちょっとした有名猫でした。 撮影も慣れたもので、お客様がカメラを向けると、ぴたっとポーズを決めて。 お店で暮らすヒロシでしたが、昨年4月下旬に体調を崩し、具合がぐっと悪くなってからは、自宅に連れていこうか、かなり迷いました。でも、ヒロシは原宿生まれの原宿育ち。この街に親しみ、近所の人たちに可愛がられてきた猫です。きっと知らない所では死にたくないだろう、そして一匹で死ぬか誰かの前で死ぬかはヒロシ自身が決めることだろうと考え、「また明日ね」と言って毎晩、店を閉めました。 翌朝、「大丈夫かな」と思いつつシャッターを開けると、私の顔を見て「ニャ」と挨拶してくれる。「今日も生きてた!」と胸をなでおろす。そんなふうにして遠い場所へ向かう準備をするヒロシと過ごしました。 母の日は朝から忙しかったのですが、夕方ふっとお客様が途切れたタイミングで、ヒロシを抱っこしてそっと呼びかけると、ちょっと私の目を見て小さく返事をして、そのまま腕の中で静かに息を引き取りました。 ひとしきり泣いて、いつものカゴに寝かせたら、また店にはカーネーションを買うお客様がバタバタと続いて……。こんな時にも空気を読む、花屋の看板猫らしい立派な最期でした。 別れの覚悟はできていたけれど、ヒロシのいない空間にはまだ慣れることができません。でも、私にはヒロシがいたから出会えた方がたくさんいる。 ありがとうヒロシ。またね。
特集special feature
緋の舟 往復書簡
染織家と批評家がおよそ1年半の間に交わした24通の書簡集。巻末に二人の対談と、手紙に紡がれたそれぞれの思索の手がかりとなる引用文集を収める。 志村はパリのロダン美術館で、「私は霊感などありません。美しいものだけが美しいのではありません。私はただ仕事をするのです。人にはよく仕事をしましたか、と問うだけです」と、リルケがロダンに言われた言葉を思い、立ちつくしたと書く。また、「芸術とは目に見えるものを再現することではなく、目に見えるようにする」とのパウル・クレーの言葉に深く共感する。対する若松は、志村とは孫ほども年が離れるが、言葉は光であると理知的に結ぶ。シュタイナー、柳宗悦、小林秀雄、石牟礼道子などさまざまな人物をめぐり、体験から発せられた言葉の数々を胸に深く刻んだ。
ザ、コラム 2006-2014
自称ひきこもり系コラムニスト小田嶋隆氏の自選コラム集。2006年から14年までの時事問題をするどく読み解いている。 話題はスポーツから皇室までと幅広い。「嫁いびりとしてのドルジ包囲網」では世間から嫌われがちな朝青龍の人間としての魅力を、彼の問題発言における日本語の巧みさに触れながら語っている。また皇室についてのコラムの見出しは「まさかの坂の雅子様」と奇抜だが、皇太子のファンであるという著者は、皇太子の趣味である登山にふれ、山選びの渋さとその登るスピードの速さに好意を抱いたと語る。その他、自身のアルコール依存症の経験を交えた浦和レッズへの思いも語られている。 ユーモラスで気どらない文体でありながら、肝心な問題については明晰。氏の筆力に圧倒された。
氷の轍
北海道釧路市の海岸で男性の死体が発見された。被害者は青森市出身の元タクシー乗務員。80歳で生涯独身、身寄りなし。主人公である道警釧路方面本部刑事第一課の大門真由は、定年間近の先輩刑事・片桐と捜査を開始する。 著者のミステリーは謎の究明と共に、事件が起こる瞬間の“魔"を描き出すことに長けている。大門たちは、被害者宅で見つけた北原白秋の詩集、着ていた白い麻のシャツ、歓楽街で働いていた過去など、わずかな糸から事件をひもとき、地道に時に大胆に、被害者と縁が深い女性たちに迫っていく。 人間の弱さ、哀しさ、残酷さが胸にしみいる中、それでも闇から光が射すような読後感がある。それは大門と片桐が真っ直ぐな魂で人と対峙しているからであろう。昨年11月に柴咲コウ主演でテレビドラマ化された。
蜜蜂と遠雷
恩田陸『蜜蜂と遠雷』。選考が間近に迫った直木賞の本命とも噂される評価の高い作品だ。 国際的なピアノコンクールを描いた長編小説だが、クラシック音楽の業界小説ともいえるだろう。 作中には〈クラシック音楽というと、とにかく優雅で高尚で、というイメージだったが、内実は全く異なる〉なんて生々しい話も出てくる。〈ピアノコンクールというのは今や一大産業なのだった。/コンテスタントをはじめ、その関係者や観客がやってきて、ある程度の滞在期間を見こめるコンクールは、町おこしにもなるし、開催地の知名度を上げるチャンスである。結果、世界中に大小さまざまなコンクールが乱立する状態となり、(略)コンクール戦国時代になっているのである〉 もっとも、この小説は業界のどろどろを描いているわけではない。物語の中心となるのは、芳ケ江国際ピアノコンクールに集った4人の若者。最大の読みどころは、タイプが異なる4人が奏でるピアノの音楽性の差異である。 天才少女と呼ばれ10代でCDデビューするも、師でもあった母の死を機に一度は音楽界を引退した20歳の栄伝亜夜。ピアニストへの夢を捨てきれず、28歳にしてコンクールに応募したサラリーマンの高島明石。名門音楽学校に在籍し、演奏もルックスも完璧で「ジュリアード王子」の別名を持つ19歳のマサル・C・レヴィ・アナトール。小説を読んでいるだけなのに、彼らの音の差がリアルに感じられるのは文章の力だろう。 とりわけ強烈な印象を残すのは、音楽教育をほとんど受けたことがない16歳の風間塵である。〈養蜂家の子供なんだって? なんでも、『蜜蜂王子』って呼ばれてるらしいよ〉。並みいる音大卒業生を押しのけて、演奏で観客を魅了し翻弄する蜜蜂王子! テレビドラマか映画になったら『のだめカンタービレ』の上を行くヒット作になる可能性大。出版界と音楽界の希望をしょって本書に登場する曲を集めたCDも発売されるにちがいない。コンクールもだが、賞の結果も楽しみだ。
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