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中将タカノリ

中将タカノリ

シンガーソングライター・音楽評論家

プロフィール

シンガーソングライター・音楽評論家。2005年、加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)の薦めで芸能活動をスタート。昭和歌謡、アメリカンポップスをフィーチャーした音楽性が注目され、楽曲提供も多数手がける。代表曲に「雨にうたれて」など。2012年からは音楽評論家としても活動。数々のメディアに寄稿、出演し、近年の昭和歌謡ブーム、平成J-POPブームに寄与している。2023年5月10日にキングレコードから橋本菜津美とのデュエットシングル「夜間飛行~星に抱かれて~」リリース。

中将タカノリの記事一覧

沢田研二ほど努力を欠かさない男はいない 78歳で初アルバムリリースの瞳みのるが感じたジュリーとは〈春の厳選スペシャル〉
沢田研二ほど努力を欠かさない男はいない 78歳で初アルバムリリースの瞳みのるが感じたジュリーとは〈春の厳選スペシャル〉 過去によく読まれた元ザ・タイガースの瞳みのるさんのインタビュー記事を再配信します(この記事は「AERA dot.」で2024年10月22日に掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
ジュリー・沢田研二の終わりなき旅! 6年ぶり「武道館」のステージで何を語るのか【きょうツアーファイナル】
ジュリー・沢田研二の終わりなき旅! 6年ぶり「武道館」のステージで何を語るのか【きょうツアーファイナル】 77歳、喜寿を迎えた今年も恒例の全国ライブツアーを開催し、多くのファンに健在ぶりを見せつけた“ジュリー”こと沢田研二。千秋楽となる11月18日の日本武道館公演は見切れ席まで売り出されており、大盛況が予感される。
ジュリー・沢田研二「伝説のコンサート」が36年たった今も“伝説”とされる理由 「やっぱりジュリーは派手でないと」という声への“反動”と“進化”
ジュリー・沢田研二「伝説のコンサート」が36年たった今も“伝説”とされる理由 「やっぱりジュリーは派手でないと」という声への“反動”と“進化” ソロデビュー50周年を超え、喜寿を迎えてなお音楽シーンの生ける伝説として活躍を続ける“ジュリー”こと沢田研二(77)。10月9日、NHK BSでそんな沢田が1989年10月13日に東京ベイNKホール(千葉県)で開催したコンサートの模様をおさめた「伝説のコンサート~沢田研二」が放送された。
ジュリー「沢田研二」数々の挫折と挑戦の末につかんだ再ブレイク 77歳がひたすら音楽に向き合う人間臭い稀有の魅力
ジュリー「沢田研二」数々の挫折と挑戦の末につかんだ再ブレイク 77歳がひたすら音楽に向き合う人間臭い稀有の魅力 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
沢田研二"華やかなジュリーの復活"なるか 吉田建プロデュース期に奥居香、清志郎、松任谷由実ら起用もむなしく…
沢田研二"華やかなジュリーの復活"なるか 吉田建プロデュース期に奥居香、清志郎、松任谷由実ら起用もむなしく… 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
ジュリー・沢田研二の長い苦悩の時代 独立、休養、離婚…“失敗”と言われる時期に追い求めたもの
ジュリー・沢田研二の長い苦悩の時代 独立、休養、離婚…“失敗”と言われる時期に追い求めたもの 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
ジュリー・沢田研二の「TOKIO」から日本の80年代は始まった 冒険で切り開いた芸能界の頂点
ジュリー・沢田研二の「TOKIO」から日本の80年代は始まった 冒険で切り開いた芸能界の頂点   1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
日本中がうち震えた「ジュリー・沢田研二」はいかにして完成形になったのか 欧米のモノマネではない独自の世界観
日本中がうち震えた「ジュリー・沢田研二」はいかにして完成形になったのか 欧米のモノマネではない独自の世界観 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
ジュリー・沢田研二はソロ歌手としてもトップスターだった!  お茶の間にロックを届けた音楽的功績
ジュリー・沢田研二はソロ歌手としてもトップスターだった!  お茶の間にロックを届けた音楽的功績 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
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