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中将タカノリ

中将タカノリ

シンガーソングライター・音楽評論家

プロフィール

シンガーソングライター・音楽評論家。2005年、加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)の薦めで芸能活動をスタート。昭和歌謡、アメリカンポップスをフィーチャーした音楽性が注目され、楽曲提供も多数手がける。代表曲に「雨にうたれて」など。2012年からは音楽評論家としても活動。数々のメディアに寄稿、出演し、近年の昭和歌謡ブーム、平成J-POPブームに寄与している。2023年5月10日にキングレコードから橋本菜津美とのデュエットシングル「夜間飛行~星に抱かれて~」リリース。

中将タカノリの記事一覧

ジュリー・沢田研二の「TOKIO」から日本の80年代は始まった 冒険で切り開いた芸能界の頂点〈うたコン「レッツゴーヤング」特集きょう〉
ジュリー・沢田研二の「TOKIO」から日本の80年代は始まった 冒険で切り開いた芸能界の頂点〈うたコン「レッツゴーヤング」特集きょう〉 6日放送の「うたコン」(NHK総合・午後7時57分)は、伝説の歌番組「レッツゴーヤング」特集。「レッツゴーヤング」にたびたび出演した近藤真彦、松本伊代、そしてマッチの大ファンで番組が大好きだったという北斗晶をスタジオに招き、生放送で届ける。松田聖子・西城秀樹・沢田研二・岩崎宏美・柏原芳恵・吉川晃司・あみん・アルフィー・早見優・チェッカーズ・CCB・斉藤由貴・本田美奈子.・荻野目洋子など貴重映像もたっぷりと楽しめる。ジュリー・沢田研二にまつわる過去の人気記事を紹介する(「AERADIGITAL」に2025年8月16日に掲載されたものの再配信です。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。
ジュリーこと沢田研二「アアア…」と腕を振る姿もキレがよく 「80歳までと言わず」ステージに立つ意気込み
ジュリーこと沢田研二「アアア…」と腕を振る姿もキレがよく 「80歳までと言わず」ステージに立つ意気込み 6月25日に78歳の誕生日を迎えた”ジュリー”こと沢田研二。現在は全国29カ所で開催のライブツアー『freedom 安堵 courage』の真っ最中だ。デビュー前から数えると60年以上のキャリアを誇る日本のポップス・ロック史上の偉人が、今なお第一線で歌い続けているというのは驚くべきこと。1999年以来、沢田のステージを見続けてきた筆者は、今年も壮絶なチケット争奪戦を制し、9月1日の兵庫県神戸市の神戸国際会館こくさいホールのライブに参加した。その様子をレポートする。
ジュリー・沢田研二の終わりなき旅! 6年ぶり「武道館」のステージで何を語るのか【きょうツアーファイナル】
ジュリー・沢田研二の終わりなき旅! 6年ぶり「武道館」のステージで何を語るのか【きょうツアーファイナル】 77歳、喜寿を迎えた今年も恒例の全国ライブツアーを開催し、多くのファンに健在ぶりを見せつけた“ジュリー”こと沢田研二。千秋楽となる11月18日の日本武道館公演は見切れ席まで売り出されており、大盛況が予感される。
ジュリー・沢田研二「伝説のコンサート」が36年たった今も“伝説”とされる理由 「やっぱりジュリーは派手でないと」という声への“反動”と“進化”
ジュリー・沢田研二「伝説のコンサート」が36年たった今も“伝説”とされる理由 「やっぱりジュリーは派手でないと」という声への“反動”と“進化” ソロデビュー50周年を超え、喜寿を迎えてなお音楽シーンの生ける伝説として活躍を続ける“ジュリー”こと沢田研二(77)。10月9日、NHK BSでそんな沢田が1989年10月13日に東京ベイNKホール(千葉県)で開催したコンサートの模様をおさめた「伝説のコンサート~沢田研二」が放送された。
ジュリー「沢田研二」数々の挫折と挑戦の末につかんだ再ブレイク 77歳がひたすら音楽に向き合う人間臭い稀有の魅力
ジュリー「沢田研二」数々の挫折と挑戦の末につかんだ再ブレイク 77歳がひたすら音楽に向き合う人間臭い稀有の魅力 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
沢田研二"華やかなジュリーの復活"なるか 吉田建プロデュース期に奥居香、清志郎、松任谷由実ら起用もむなしく…
沢田研二"華やかなジュリーの復活"なるか 吉田建プロデュース期に奥居香、清志郎、松任谷由実ら起用もむなしく… 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
ジュリー・沢田研二の長い苦悩の時代 独立、休養、離婚…“失敗”と言われる時期に追い求めたもの
ジュリー・沢田研二の長い苦悩の時代 独立、休養、離婚…“失敗”と言われる時期に追い求めたもの 1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
ジュリー・沢田研二の「TOKIO」から日本の80年代は始まった 冒険で切り開いた芸能界の頂点
ジュリー・沢田研二の「TOKIO」から日本の80年代は始まった 冒険で切り開いた芸能界の頂点   1960年代後半から80年代にかけ数々のヒット曲を放ち、音楽界、芸能界の頂点に立った沢田研二。「君だけに愛を」(68年/ザ・タイガース)、71年にソロデビューしたあとは「危険なふたり」(73年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)、「TOKIO」(80年)……彼の楽曲は、セールス記録はもちろん、印象的なパフォーマンスと演出、一本筋を通した生きざまで、多くの人の記憶にも残っている。
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