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武内陶子

武内陶子

タレント

プロフィール

●たけうち・とうこ/1965年、愛媛県出身。神戸女学院大を卒業後、91年NHK入局。松山、大阪を経て東京勤務。「おはよう日本」キャスターや、「スタジオパークからこんにちは」司会などを務める。また、2003年には、「第54回紅白歌合戦」総合司会を務めた。23年9月、NHKを早期退職し、サンミュージックプロダクションに所属。夫は文化人類学者で東海学園大特命副学長の上田紀行氏。

武内陶子の記事一覧

「ミャクミャク」推しの私が大阪・関西万博で涙した「ベルギー館」での出来事 華やかで楽しい万博とは違う“もう一つの顔” 武内陶子
「ミャクミャク」推しの私が大阪・関西万博で涙した「ベルギー館」での出来事 華やかで楽しい万博とは違う“もう一つの顔” 武内陶子 大阪・関西万博が閉幕した。思えば2年半前、2023年3月に家族でUSJに遊びに行った折にホテルからの行き帰り、車で朝晩に夢洲を通った。「ここが万博会場になるのか〜?」と、コンビニ1軒だけであとはなーんにもないその場所に驚いた。コンビニにたむろするバイクの走り屋しかいない夢洲の光景に思わず心の中でエールを送ったことを思い出す。
四国出身でもう一生分船に乗ったと思っていた私が「飛鳥Ⅱ」に初乗船して“涙したこと” 武内陶子
四国出身でもう一生分船に乗ったと思っていた私が「飛鳥Ⅱ」に初乗船して“涙したこと” 武内陶子 私は横浜の大さん橋を歩いていた。横浜には何度も来ているのに、いつも山下公園と中華街ばかりで、ここは初めての道だ。港町にはどことなく異国情緒が漂う。マリンチックな看板にツタの絡まる雑貨屋さん、路地の奥の家の外壁にはブルーを基調とした掛け時計がかけてある。ちょっとしたものなのに、とってもかわいい。
27歳で「大失恋」した私とフランス旅行に行ってくれた「亡き父」…32年前に書かれたメッセージに込められた“娘への思い” 武内陶子
27歳で「大失恋」した私とフランス旅行に行ってくれた「亡き父」…32年前に書かれたメッセージに込められた“娘への思い” 武内陶子 先日、古い書類などをいろいろと整理していたら、一昨年亡くなった父がカラーコピーで自作した「パリ5日間のスケッチ 24PRELUDES』というスケッチとエッセーをまとめた冊子が出てきた。父の書いた日付を見ると平成5年6月だから、今からもう32年も前のものだ。以前この連載で、「亡くなったあとも時々出てくる寂しがりやの父」の話を書いたことがあるが、あの寂しがりやの父である。
ビートたけしさんの兄、北野大さん83歳が語った「母の言葉」とあっぱれ愉快な人生 武内陶子
ビートたけしさんの兄、北野大さん83歳が語った「母の言葉」とあっぱれ愉快な人生 武内陶子 先日、北野大さんにお目にかかった。ご存じビートたけしさんのお兄さん、マー兄ちゃんだ。83歳。最近はあまりテレビなどにはお出になっていないけれど、今もマー兄ちゃんは現役バリバリ、埼玉の秋草学園短期大学学長でいらっしゃる。お久しぶりにお目にかかったのだが思わず「チャームポイントの笑顔は健在ですね!」とこぼしてしまうほどのビッグスマイルでのご登場に、こちらもすっかり嬉しくなる。
事務所の先輩「松田聖子さん」45周年ライブに参加して“むせび泣いた”夜のこと 武内陶子
事務所の先輩「松田聖子さん」45周年ライブに参加して“むせび泣いた”夜のこと 武内陶子 先日、私の事務所の大先輩、松田聖子さんのコンサートに行ってきました(そーなのよ、実は聖子ちゃんはデビュー前年の1979年から独立する89年まで、現在私が所属しているサンミュージックに所属しておられたのです!)。「いつか聖子ちゃんのコンサートに行ってみたい!」という私の若い頃からの夢がかなった瞬間でした。
女性初の日本陸連新会長になった「有森裕子さん」に聞いた“伝説の名言”の裏側 武内陶子
女性初の日本陸連新会長になった「有森裕子さん」に聞いた“伝説の名言”の裏側 武内陶子 先日、日本陸上競技連盟会長に立候補し、見事に女性初の会長になった有森裕子さんにお目にかかった。生まれたてほやほやの有森新会長。なんと就任2日後、記者会見の後で初の公の場としてお出ましになったのが私の担当する配信番組・学研TV「人生100年!大人カフェ」だったのだ(おかげで配信されるやいなや、たくさんのサイトやスポーツ紙に取り上げてもらった)。もちろんスケジュールは随分前から決まっていたのだが、この偶然のなせる業に収録前夜の私の心も躍った。
父の日に思い出す「iPhoneの表示」と「エルモ」 亡くなった父がたまに“帰ってくる”ことがなぜか笑えてしまう理由 武内陶子
父の日に思い出す「iPhoneの表示」と「エルモ」 亡くなった父がたまに“帰ってくる”ことがなぜか笑えてしまう理由 武内陶子 私は小さい頃からたくさんの学校を転々としてきました。父が外科の医者で、瀬戸内を中心にいろいろな病院に勤め、そのたびに家族も一緒に移動してたんですよね。岡山、小豆島、姫路、松山、愛媛の南端一本松町、大洲などなど。私自身の転勤なども含めると転居した数は20カ所ぐらい。結果、幼稚園2つ、小学校3つ、中学校2つ、高校1つ、大学2つとたくさんの「転校」も経験してきました(だからこんな性格になった!?笑)。
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