週刊朝日
第1209回 義眼を忘れさせるほど元気なチロ
柴犬のチロ(写真、雌、9歳)にとって、2015年は試練の年だった。緑内障を発症し、右目の視力を失ってしまったのだ。 ある日突然、チロは右目を固く閉じ、痛みに震え、歩くこともゴハンを食べることもできなくなった。 普段は家族以外は受け付けないが、そんなことは言っていられない。近所の獣医さんへ駆け込むと、今まで震えていたのに全力で診察を拒もうとした。 それでもなんとか押さえつけて診てもらった。数日通って痛み止めの注射を打ってもらうと、助けてくれるのがわかるのか、おとなしく診察を受けるようになった。しかしもう視力は失われているようで、専門病院を紹介された。 その大きな病院でチロは麻酔なしの3時間の検査を乗り越え、結局義眼にする手術を受けることになった。 手術を終え、退院してきたチロは、一時的に右目を縫い合わせた痛々しい姿ながら、思ったより元気そうだった。あれだけ抵抗した点眼もおとなしくさせるようになったし、目を守るためのエリザベスカラーでの生活にもじっと耐えた。 片目が義眼になっても、生活にも支障はなく、本人は家に居られることを何より喜んでいるように見える。こっちが落ち込んでいても「あそぼ!」とおもちゃをくわえて寄ってくる。また、点眼後のご褒美が楽しみで、「偉かったでしょ? 今日のご褒美は?」とつぶらな瞳で見つめてくれる。 見えていた過去は振り返らず、日々できることを喜び、毎日を淡々と過ごすチロ。私だったら、きっとメソメソ泣き暮らしていただろうな。 今は義眼であることを飼い主すら忘れてしまうほど、以前と変わりなく元気だ。 犬は強い。犬は偉い。犬から教わることは本当に多い。
村上春樹はノーベル賞をとれるのか?
毎年10月になると日本のマスコミはノーベル賞の話題で賑やかになる。とくに文学賞はここ数年、有力候補とされている村上春樹の受賞が注目の的となっている。 村上春樹は受賞できるのか、何故できないのか、読者の関心はそこにある。しかし、本書の力点は「ノーベル文学賞とは何か」に置かれている。この文学賞の本質に向けてあらゆる角度から照射した文芸評論家の労作である。 だが、春樹文学の受賞の可否について避けているわけでもない。つまり、春樹文学は「世界文学」として海外で通用するのかどうかにかかっている、と著者は言う。この賞の政治的色合いや順番制などを考慮すると、可能性は遠のく気がしないでもない。 受賞した川端康成、できなかった三島由紀夫らの興味深いエピソードなども掲載されている。 (村上玄一)
いつかの夏
2007年夏にインターネット上で見知らぬ男3人が知り合い、31歳の女性を無計画に拉致し、命を奪った「名古屋闇サイト殺人事件」。 事件について加害者の視点から書かれたものはあったが、本書は被害者の視点から問い直す。鉄のハンマーで40回も顔面や頭部を殴られながら、必死に生きようとした彼女は何を思ったのか。刃物を突きつけられながら、キャッシュカードの暗証番号を吐かない強さをなぜ持てたのか。彼女の生い立ちから丹念に追うことで、死の恐怖に晒されながらも、自分を貫き、犯人に必死に抵抗し続けた理由が理解できてくる。 被害者視点に立つことで見えてくるものもある。マスコミは無神経な報道に終始し、裁判では永山基準が重くのしかかる。被害者に事件の終わりがないことを本書は改めて突きつける。 (栗下直也)
少年が来る
1980年5月18日、韓国の南部光州では、民主化を叫ぶ学生や市民が軍によって無惨に殺される事件が起きた。小説家ハン・ガンは、この事件が人々の心に残した傷痕を繊細な筆致で描き出した。 軍に親友を殺された少年、なぜ殺されたのか、誰に殺されたのかも分からず死んでいったその親友、なぜ自分だけが生きているのか苦しむ人、拷問の記憶から逃れられない人。著者は事件後の人々に焦点を当て、彼らの癒えない傷を見つめる。 だが、これは光州だけの問題ではない。このような暴力は光州事件の前にも後にも繰り返されてきた。済州島で、関東と南京で、ボスニアで、全ての新大陸で。人類の「遺伝子に刻み込まれた」ように繰り返される残忍性と、私たちは向き合わなければならない。二度とこんなことが起きないように。 (すんみ)
あひる
今村夏子は寡作で知られる。6年前に三島賞を受賞した『こちらあみ子』が刊行されて以降、世に出た作品は、同作の文庫化のために書かれた1作しかなかった。だから、昨春、地方出版社が創刊した文芸誌に今村の新作が載ると、ファンは喜んだ。芥川賞の候補にもなったその短篇が、今村の2冊目の作品集『あひる』の表題作である。 「あひる」は、知人から頼まれてあひるを飼うことになった家族の変化を描いている。語り部は娘で、彼女は2階で資格試験の勉強をしつつ庭の様子をうかがう。前の飼い主が“のりたま”と名づけたあひるが来てから、子どもたちが頻繁に遊びにくるようになったのだ。両親は子どもたちを歓迎し、のりたまと遊ばせるだけでなく、客間で宿題をさせたり、お菓子をふるまったりする。働いたことがない娘はもちろん、離れて暮らす息子夫婦にも子どもがいないため、両親は〈孫がたくさんできたようだ〉と子どもたちを可愛がる。しかし、父親が、体調を崩したのりたまを動物病院へ運んでいくと、子どもたちはぱったりとこなくなる。2週間後、帰ってきたのりたまは、なぜか小さくなっていたが、娘は両親に何も言えないまま口をつぐむ……。 あるべき言葉が正しくそこにあって、淡々と簡潔に文章が展開していく。デビュー作から読者を惹きつけてきた今村の文体には磨きがかかり、テンポよく読み進めるうちに、不吉な影を感じてしまう。それは、家族が、日常がいつしか溜めこんでしまった、おそらく私たちにも訪れる危機の前兆なのだろう。 寡作の人はまた傑作を書いた。
特集special feature
夜行
1月19日に選考される芥川賞・直木賞の候補作が発表になった。直木賞候補作は全5作。そのうちの一冊、森見登美彦『夜行』(これが2度目のノミネート)は摩訶不思議な森見ワールドを凝縮したような連作短編集である。 物語はかつて京都の同じ英会話スクールに通っていた5人の男女が10年ぶりに再会するところからはじまる。10年前、彼らは鞍馬の火祭を見物に出かけ、その夜、仲間のひとり(長谷川さんという女性)が失踪したのだった。 仲間たちと会う直前、「私」は長谷川さんに似た女性の姿に導かれるようにしてある画廊に入り、そこで不思議な銅版画を目にした。「夜行」と題された48枚の連作で、作者は岸田道生。7年前に死んだ作家だという。作品には「尾道」「伊勢」「野辺山」「奈良」「会津」「奥飛騨」「松本」「長崎」「青森」「天竜峡」などの題がつき、いずれも闇を背景に目も口もない女性が立つ姿が描かれていた。 そして合流した仲間たちは、それぞれの旅の思い出を語りはじめる。尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡。どれも人が姿を消す不気味な体験で、どれも岸田道生の「夜行」がからんでいた。〈誰もが無事に旅から帰ってきた。/「しかし無事に帰ってこられない可能性もあったわけだ」〉〈旅先でぽっかりと開いた穴に吸いこまれる。その可能性はつねにある。/あの夜の長谷川さんのように──〉 伝統的な百物語の形式をとる怪談集。得意のドタバタ喜劇的側面は封印され、シンとした夜の雰囲気。大人好みのホラーですね。 〈夜行列車の夜行か、あるいは百鬼夜行の夜行かもしれません〉と語る画廊主。夜の列車の暗い車窓を眺めつつ〈夜はどこにでも通じているの〉とつぶやく女子高生。そして岸田の〈世界はつねに夜なんだよ〉という言葉。全部、意味深。絵画(版画)が異世界への入り口になっているという趣向自体は珍しくないとしても、ラスト近くのどんでん返しと、それをまた相対化する視点は読者を宙づりにする。けっこう直木賞好みかと思ったんですけど、どうでしょう。
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