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事件が起きたから幽霊が出るわけじゃない!? ワケあり物件にまつわる不思議な話
事件が起きたから幽霊が出るわけじゃない!? ワケあり物件にまつわる不思議な話 前の住人が自殺・殺人・孤独死・事故などで死んでいる部屋や家のことを指す「事故物件」。普通だったらできれば避けて通りたい物件ではないかと思いますが、そんなワケあり物件を転々としている人がいます。それが松竹芸能所属のピン芸人、松原タニシさん。  きっかけは"事故物件で幽霊を撮影できたらギャラがもらえる"というテレビ番組の企画だったそうですが、それにはじまり大阪、千葉、東京などこれまで6軒の事故物件に住んできたそうです。  本書『事故物件怪談 恐い間取り』は松原さんが生活してきた事故物件での体験談、実際に事故物件に住んでいた人に取材した話、さらには心霊スポットや怪奇現象が起きる"ある意味"事故物件な場所での出来事などを間取り付きで紹介している一冊。小説や映画などフィクションのホラーも怖いものですが、本書の恐ろしさはなんといっても「住む」という私たちの生活に根差したところにある実話だという点ではないでしょうか。  とくに第一章の「僕と事故物件」は実際に松原さんが住んだ事故物件について書かれており、不気味さや不可思議さがリアルさをともなって伝わってきてしみじみ怖い......!  たとえば最初に住んだ、過去に凶悪な殺人事件があったという大阪のマンション。事件は4階で起きたというのに、なぜか1階のフロアが事件後にすべてぶち抜かれ、住人の誰ひとりも自転車を停めていない駐輪場になっているといいます。松原さんの部屋は6階になりましたが、住み始めてからというもの、ニット帽の男性の幽霊(?)を目撃したり、記録のために録画していた映像にオーブが映り込んだり、マンションの前でひき逃げ被害に遭ったりと尋常じゃない事態に。ページをめくりながら「やはりこれは殺人事件の因縁が......?」と思ったものの、そこには予想を上回る驚きと恐怖が待っていました。偶然、同じマンションに昔住んでいたという男性と知り合った松原さん。彼は松原さんがひき逃げに遭ったのと同じ季節に三年連続でひき逃げに遭っており、引っ越してからある日、テレビのニュースを見てそのマンションで殺人事件が起きたことを知ります。つまり、殺人事件の前から奇妙な現象は起きており、「事件が起きたから幽霊が出る」わけではなく、元々"何か"がある場所なのだと考えられるというわけです。  "何か"とは何なのか、ニット帽の男性は誰なのか、なぜ1階が突然駐輪場にされたのか、そこに明瞭なオチも説明もありません。でも、この釈然としないモヤモヤ感がまた実話らしくて恐怖を誘われます。  松原さんは本書の「はじめに」で、「事故物件で起きる不可解な現象がいったい何を意味するのかいまだにわかりませんが、"死"を身近に感じる事故物件に住むことで、奇しくも僕は"生きる"ことについてより考えさせられたのでした」と書いています。本書を読んでも(読んだらなおさら)事故物件に住みたいなんて思えないかもしれませんが、松原さんの体験を疑似体験することで、皆さんも生きている実感を得ることはできるかもしれません。ただし、自宅でひとりで夜中に読むのはそうとうこたえますのでご注意を!
それぞれの生きるスピードと向かう場所へ 絲山秋子『夢も見ずに眠った。』
それぞれの生きるスピードと向かう場所へ 絲山秋子『夢も見ずに眠った。』 会ったこともない人を信用できる人だと思ったことはあるだろうか。普通の人間関係ではそれはあまり起こりえない事柄だ。しかし、創作や表現をしている人や、国境を越えて私的なことではなく公共の利益のために働いている人だったり、スポーツ選手の人たちにはそういうことを感じることがあなたにはないだろうか。一方的にこちらは知っている。しかし、相手はこちらのことなど知る由もない。だけども、「わたし」はその人の発言や行動を知っていて、勝手に信用にたる人だと思う、というようなことが。  わたしは小説を読むのが好きなので、書き手の中にそういう人は何人かいる。小説にしてもエッセイにしても活字になるものは、書き手から顔の見えない不特定多数の読み手への語りだったり、あるいはラブレターや自身の思想を物語や読みやすいものにアウトプットして届けているものだと思っている。だからこそ、読み手はその中にあるものを感じて、この人は信用できると思うのではないだろうか。わたしにとって信用のおける書き手の一人だと勝手に思っているのが、小説家の絲山秋子さんだ。  絲山さんの作品で個人的に大好きなのは、『海の仙人』『末裔』なのだが、やはり絲山作品を読んでいない人には『逃亡くそたわけ』と『離陸』をオススメしたい。わたしがスタッフをしている『monokaki』では以前に、文筆家・編集者の仲俣暁生さん連載『平成小説クロニクル』で「第五回 絲山秋子と吉田修一 地方を舞台とした「アンチ東京小説」のリアリティ」を執筆してもらい、記事を公開している。 https://monokaki.everystar.jp/column/heisei/1149/  ここで書かれているのは、絲山秋子さんや吉田修一さんという二人の小説家は「恋愛小説」のその先を描いているということ、そして、損得勘定を越えて動いてしまう人間の愚かしさや狂おしさ、切なさがあるということだ。そこにはやはり愛おしさも含まれているだろう。今回は『逃亡くそたわけ』と『離陸』の流れにあるような、「恋愛小説」のさらにその先を描いた新作『夢も見ずに踊った。』について紹介したい。 ――――――――――――― 夫の高之を熊谷に残し、札幌へ単身赴任を決めた沙和子。しかし、久々に一緒に過ごそうと落ち合った大津で、再会した夫は鬱の兆候を示していた。高之を心配し治療に専念するよう諭す沙和子だったが、別れて暮らすふたりは次第にすれ違っていき......。ともに歩いた岡山や琵琶湖、お台場や佃島の風景と、かつて高之が訪れた行田や盛岡、遠野の肌合い。そして物語は函館、青梅、横浜、奥出雲――土地の「物語」に導かれたふたりの人生を描く傑作長編。(単行本帯裏より) ――――――――――――― ――――――――――――― 主人公夫婦の家は熊谷。単身で住んだのは札幌、青梅など。 旅をした場所は岡山市、笠岡市、倉敷市、滋賀県全域、川島町(埼玉)、盛岡市、遠野市、東京23区、函館市、江差町、青梅市、奥多摩町、横浜市、松江市、奥出雲町などです。(著者の絲山さんのツイートより) ―――――――――――――  『夢も見ずに踊った。』は夫婦であるふたりの男女の二十五年という長い時間を描いた小説だ。そして、絲山さんのツイートにもあるように、様々な場所や地域が出てくる。  ふたりで行くこともあるし、それぞれがひとりで赴くこともあるし、途中から個別に違う場所へ向かうこともある。夫の高之と妻の沙和子は就職氷河期に大学を卒業した大学生であり、いわゆるロストジェネレーションと呼ばれる世代である。わたしもそのロスジェネ最後尾にいたので彼らの感覚はものすごくわかるし、共感するところが大きかった。  就職氷河期というのは1993年から2005年と定義されている。現在の社会で考えれば中間管理職になっている層がそこにあたるのだが、そもそも就職が困難でありフリーターや派遣社員になるしかなかった人も多い。そのまま年齢が上がって就職ができなかったり、そのままの雇用形態で働いている人も多く存在しているというのが現状だ。  この数年で団塊の世代が定年になって抜けていくという現実があり、近年の大学卒業者の内定率が高くなったのは、羊頭狗肉な「アベノミクス」を吹聴している彼らの政治的な手腕で景気がよくなったからではないことがよくわかる。下の世代からは就職もできなかった人と見下されたり、卑下されてしまうような世代がロスジェネであるということも事実としてある。  会社組織におけるポッカリと空洞のようになってしまっているのがこのロスジェネ世代であり、上と下の世代(わかりやすく言えばインターネットが登場する前のアナログな時代が若い頃にあった世代と生まれた時にはインターネットも携帯やスマホも当たり前のものとしてあった世代)それぞれの中間にいるからこそ、本来であれば、彼らを繋げられるはずだったこの世代が宙ぶらりんになってしまっているように個人的には感じている。もしかすると、その代りとしてインターネットがあるのかもしれない。しかし、検索だけでは人は繋がらないし、どんどん分断は進んでいくだけなのが現実の社会である。  ロスジェネにはかつて社会に対しての「怒り」があったのだが、例えば『「丸山眞男」をひっぱたきたい31歳フリーター。希望は、戦争。』なんかはその代表的だろう。しかし、「怒り」のエネルギーは長期的には持続せず、時代の変化もあるのでどうしても「諦め」に変わっていってしまった。入れ替え可能なフリーターや派遣社員として働いて体調や精神を壊してしまえば、もう金銭的にも精神的も立て直すことはなかなか難しいものになってしまっている。  ゼロ年代初頭のロスジェネのモラトリアムを描いた作品では、漫画では浅野いにお著『ソラニン』、映画では行定勲監督『ロックンロールミシン』、テレビドラマでは岡田惠和脚本『夢のカリフォルニア』などがあり、当時の彼らと時代の雰囲気をうまく描いていた。そして、そのロスジェネに完全にとどめを刺したのがリーマン・ショックだったと言えるだろう。  彼らより上の世代はこのままなんとか逃げ切ろうとしている。正社員経験がなく、フリーターや派遣社員が多く、このままどこにもいけない世代がロスジェネだろう。それより下の世代はリーマン・ショック以降の世界的な不況と日本の構造改革の失敗、ホリエモンの逮捕劇などもあり、自由な働き方やベンチャーをやろうという意欲は一部を除いて削がれており、年功序列で終身雇用を望む保守的人がかなり増えて、昭和の雇用形態を望むような先祖返りのようになっている。それは平成まるごとの不況とグローバリズムによる格差が明確に出てきているために、どうしても安定を望むという作用が出てきているのだろう。だが、その昭和的な雇用形態は「中流」という幻想を多くの人がイメージできるような豊かな時代だったからこそであり、その「中流」という幻想を多くの人がイメージできない時代では、実際のところ難しいものになっている。  これらは小説にはあまり関係ないように感じられるかもしれないが、この物語の主人公のふたりのバックグランドはこういう背景や世代的な感覚がある。だからこそ、沙和子は高之を実家の熊谷に残して、札幌に単身赴任を決めて仕事をしっかりやろうとしたはずだし、彼もそのことを尊重しないといけないと思い、義実家で妻の両親とうまくやっていた。  車でドライブする際にどこを迂回して目的地まで行くかというような小さな選択がたくさん起きる日常の中で、次第に疲れていきやがて心を病んでしまうことは誰にだって充分に起こりうる。また、彼らのように違う場所で生活していくということは、気持ちが当然相手にあったとしても、どこかですれ違ってしまう。そして、言いたいのに言えない言葉や思いだったり、触れたいのに触れられないその寂しさがふたりだけの関係性における決定的な判断を下すことにも繋がっていくだろう。  微細なこころの襞が各地の風景や食べ物や、ドライブで見えるものや体験すること、鉄道の乗り換えやバスの待ち時間だったり、それぞれの名所やふたりが興味ある建物や名所と共に描かれながらこの物語はゆっくりだが確かに進行していく。  このように書くと、なんだロスジェネの中年カップルの労働や生活に関する小説なら自分には関係ないから読まなくてもいいや、って人もいるかもしれない。しかし、考えてみてほしい。今というあまりにも先の見えない時代にモデルとなるような先駆者はいるだろうかということを。  ロスジェネという世代が社会に出た時にはすでにバブルは崩壊して「失われた20年」の只中にあった。ミレニアムを迎えて新世紀であるゼロ年代に入っていき、インターネットだけではなく、スマホも当たり前のものになった。  雇用形態と時代の変化は当然ながら男女における結婚や付き合い、そして出産や子育てにも大きな影響を与えた。『夢も見ずに踊った。』の主人公である高之と沙和子は、上の世代のような夫婦関係や家庭や社会人としてのモデルがいない世代である。当たり前にあったものが崩壊しているのだからモデルなど存在していない。だからこそ、ふたりの関係性は新しい男女の関係性のヒントにもなり、性別を越えて人と人が長い時間をかけてどうやって信頼関係を築くことができるのかということを知れるきっかけになるはずだ。  違う「個」同士が時には寄り添い、時には離れていく。それぞれの生きるスピードは当然ながら違うから。一緒にいれる時もあれば、いれない時もある。そして、一緒だったは ずの向かう方向だって変わっていくかもしれない。  人生という限られた時間の中で、どこにいくのか、誰といるのか、なにをするのか、それらを決めるのは自分だ。大切な誰かといる時の自分と、大切な誰かといない時の自分の生きるスピードは違う。別れた人といつか会うこともあるし、未知の出会いもあるかもしれない、それはどんな風に生きるかという選択の中で起こるということを、高之と沙和子のふたりの関係性と人生の選択から教えてもらえる、そんな信頼できる一冊だった。 文/碇本学(Twitter : @mamaview)
選択肢がありすぎて買物につかれた現代人にモノを売るための方法とは?
選択肢がありすぎて買物につかれた現代人にモノを売るための方法とは? 皆さんは最近、買物をする際に「あー面倒くさい!」と思ったことはないでしょうか? 賢く情報収集しなければいけないというプレッシャー、豊富すぎる商品情報や選択肢、もっと得な商品があったと知る後悔......しまいには比較選択に疲れ果て、何が本当に欲しいものなのかわからなくなる――。あまりに情報が増えすぎ、複雑化した現代において、こんなふうに「買物が面倒だ」というストレスを感じている人は少なくないことと思います。  そんな中で企業が生活者に商品・サービスを選ばれるにはどうすればよいのでしょうか? 今回ご紹介するのは、購買行動起点でのマーケティングを実践・提案する「博報堂買物研究所」による、『なぜ「それ」が買われるのか?』という書籍。本書では、これからは「生活者の選ぶ労力を削減しつつ、その人にとって魅力的な商品/サービスばかりに絞られた<枠>の中から商品を吟味する楽しみを同時に提供する」ことが大事だと提唱。そしてこの仕組みを"「枠づくり」戦略"と名付け、買物に浸かれた現代人にモノを売るための方法を公開しています。  この「枠づくり」戦略ですが、 (1)「これでいい」として選ばれる商品・サービス(積極的妥協) (2)「これがいい」として選ばれる商品・サービス(生活発見を提案する) (3)「これしかない」として選ばれる商品・サービス(消費だけでなく参加できる) の3つの「枠」のどれかに当てはめて考えられるそう。たとえば(1)は「こだわり過ぎない、けれど一定水準のクオリティを担保しているから選べる」という枠づくり。その成功事例のひとつとして「ほけんの窓口」を挙げています。  全国に600店舗以上を構え、約35社の保険商品をあつかっている「ほけんの窓口」では、「ここに相談に来れば、専門知識を持ったスタッフと相談しながら商品をフラットに比較して自分に適した商品を選べる」仕組みになっています。複雑な買物であっても顧客が「これでいい」と納得して選べるまでに「学べる買物」を提供しているというわけです。  続いて(2)は「生活者が明確に言葉にできない生活欲求に対して『生活発見』を提案する」という枠づくり。栃木県内でその名をとどろかせているというサトーカメラはその好例だといいます。  サトーカメラの強さの秘密は写真への興味を生み、育てる販売・接客スタイル。お店では、顧客は写真データを表示するモニターの前に置かれたソファにゆったりと座り、アソシエイトと呼ばれる店舗スタッフと会話をしながら写真を選び、それをプリントして形にするのだとか。このサービスは好評で、これがきっかけとなって、さらに「どうせ撮るならもっと綺麗に思い出を残したい」と高価格な一眼レフカメラなどに興味を持ち始める顧客も多いといいます。これはまさに自分ひとりでは気づけなかった「写真のある生活」の喜びを発見できる「枠づくり」であり、写真のプリントを入り口にさらなるビジネスチャンスを生み出しているといえます。  そして最後に(3)。SNSの登場と普及により、見ず知らずの、けれど同じ好みを持つ人とつながることができる現代。旧来のコミュニティにとらわれない気軽な参加の形が喜ばれ、「消費者自らが参加できる」という枠づくりが生まれているといいます。  その「参加できる」消費を顕在化したもののひとつが「AKB48」。それまでテレビの中の憧れの存在だったアイドルを「会いに行けるアイドル」としてAKB48専用の劇場を作る。投票権を入手し、推しメンに投票するという「AKB選抜総選挙」を実施する。これらはまさに生活者の「参加」型の消費への欲求の高まりをわかりやすく表したものといえるでしょう。  「これしかない」枠を生み出すのは一般的な企業にとっては非常にハードルが高いものですが、成功するための一歩として「生活者が自分の人生の一部を差し出してでも『参加したい、応援したい』と思える企業と生活者との『共通の目標づくり』が必要だ」としています。  ほかにも本書ではさまざまな事例を用いながら、生活者が選ぶための"「枠づくり」戦略"を提案しています。情報は多すぎるのにモノは売れない現代において、新たな時代のマーケティング指南書として参考になるに違いありません。
眺めているだけでも楽しい「クスリ絵」って?
眺めているだけでも楽しい「クスリ絵」って? 体や心に病や不快な症状があれば、ふつうはまず病院に行ったり薬を飲んだりすることでしょう。けれどもし、絵を"見るだけ""触れるだけ"でそれが治るとしたら......? そんな常識破りの研究に長年取り組んできた医師が20年以上もの臨床をベースに開発したのが「クスリ絵」なるもの。  数学や物理学、神聖幾何学、古代文字(カタカムナ)の概念を取り入れた色や形で構成されたパワフルなもので、そのどれもが生命エネルギーの調整や人間本来のもつ自然治癒力、潜在能力などを引き出し、向上させてくれるのだとか。  それにしてもどういう仕組みで絵を見るだけで不調がケアできるんでしょうか? クスリ絵の開発者であり本書『クスリ絵』の著者でもある丸山修寛氏による見立てはこう。不調を引き起こす原因のひとつは、潜在意識に記憶されているあらゆる経験や感情のうちの"負の記憶"が関係しているそう。潜在意識は呼吸や消化吸収、心臓の拍動など生命を維持するための神経システムも司っていますが、負の記憶はこの機能にダメージを与え、消耗させるマイナスのエネルギーだとしています。クスリ絵は潜在意識に生命エネルギーを補い、負の記憶を一掃する働きがあると説明しています。  実際、丸山氏がクスリ絵を治療に活用するようになって、8割以上の患者がその効果を実感しているというから、これが本当なら驚きです。しかも本書ではクスリ絵が部位別にカテゴリ分けされていますが、「頭部・目の不調」「胃腸・膵臓の不調」「首・肩・腰・足の不調」「心の不調」などほぼ全身におよび、さらにそこから詳しい症状別に絵が並んでいます。曼荼羅っぽいもの、幾何学模様を取り入れたもの、古代文字をモチーフにしたものなど非常にバラエティ豊かなデザインで眺めているだけでも楽しめます。  では、効果自体はどれほどまでにあるものなのか。私もためしにやってみることに。肩こりがひどい私は「ハートほっこり。肩や首もリラックス」できるという「ウォーミングハート」というクスリ絵をチョイス。具体的には「否定的な感情を開放」「首や肩の凝りをケア」「気持ちを前向きにする」作用もあるそうです。しばらくじーっと絵を見つめていたところ、プラシーボ効果なのかもしれませんが、こころなしか体がふわっと軽くなったような......。  皆さんも効果を実感できるかどうか。それはぜひ本書を手に取り試してみてください。ただ眺めるだけでも楽しいので、家庭の常備薬(?)的存在として一冊あると心強いかもしれません。
ある日身近な人が加害者にならないとも限らない...「万引き依存」とは
ある日身近な人が加害者にならないとも限らない...「万引き依存」とは "万引き"と聞くと、どのような印象を持たれるでしょうか。  カンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した映画『万引き家族』で描かれるように貧しさゆえに盗む、非行少年がスリルを求めての行為、転売目的のプロ窃盗団の犯行、あるいは「クレプトマニア(窃盗症)」。  または、テレビ番組などで特集されるように、スーパーや大型ショッピングモールで万引きGメン(私服保安員)に取り押さえられ、バックヤードに呼び出された家族が泣き崩れる...といったシーンを思い浮かべる方もいるかもしれません。  メディアでも興味本位で軽く取り上げがちな万引き行為ですが、精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さんは、著書『万引き依存症』で、万引きは決して軽微な犯罪ではなく、物を盗むという窃盗であり、深刻な加害行為であると指摘します。  前著『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス刊)で注目を集めた斉藤さんは、依存症への専門治療プログラムを実施する大森榎本クリニックで、DV加害者や性犯罪加害者などの加害者臨床を専門にしています。  同書の中で、やめたくてもやめられず、万引き行為がどんどんエスカレートしてしまう状態は、自分の意思ではコントロール不能な「衝動制御障害」に陥っているのであり、依存症の病態として捉え直すことが必要だと述べています。  彼らに特有なのが「認知の歪み」。たとえば「たまたま魔が差してしまった」「少しぐらい盗っても許される」(同書より)という常套句が示唆するように、身勝手な理由で責任転嫁し、加害者にもかかわらず、まるで自分が被害者かのように捉えていると言います。  斉藤さんによれば、万引き犯には意外にも女性、しかも主婦に多いのだとか。 「臨床の場にいると女性のほうが家族の問題がより顕著に表れていると実感します。それは家庭内では女性のほうが抑圧される傾向にあるからだと思われます」(同書より)  背景には、日本社会に根強い性別役割分業、特に家庭内でのケア労働――ワンオペ育児や家事全般、老親の介護――を女性が担っていることを考察しています。  万引き犯の多くは、世間に流布するような「意志が弱い」「だらしない」性格ではなく、人一倍真面目で責任感があり意志が強い気質の持ち主であり、その反面、追い詰められた時に脆い人々であると言います。孤独や強いストレスにさらされた時の逃げ場を持たず、ストレスから逃れるために万引きという逸脱行為を選択してしまうと分析。  同書では、適切な医療につながれば依存症からの回復は不可能ではないこと、単純な厳罰化だけでは万引きを繰り返す常習者を止めることはできず、再犯防止のための治療プログラムが必須であると訴えています。 「現代人だからこそ陥る病理であり、だからこそ、誰ひとりとして『自分は絶対にならない』とは言えません」(同書より)  ある日突然、家族や友人など周囲の身近な人が加害者にならないとも限らない、万引き依存症。自分には関係ないことと切り捨てるのではなく、社会病理として捉え直す必要があるのではないでしょうか。
樋口毅宏論・復帰編 樋口毅宏『東京パパ友ラブストーリー』
樋口毅宏論・復帰編 樋口毅宏『東京パパ友ラブストーリー』 昭和から平成初期にかけてのプロレスをテーマにした『太陽がいっぱい』が小説家として引退作品だった樋口毅宏が帰ってきた! と言いたいところだが、引退前に書いていた『アクシデント・リポート』もその後に出ているし、「小説現代」にも二作ほど短編が掲載されている。実際問題として引退してなくね?と思う樋口ファンもいることだろう。僕もそのうちの一人である。そんなわけで新作が出たのでご紹介です。  「引退」してもすぐに復帰、で引退、復帰とか繰り返すと「小説界の大仁田厚」になってしまうわけだが、プロレスというのは当然ながら一人では成り立たず、相手とファンがあってこそ成り立つショービジネスだ。 しかし、今作『東京パパ友ラブストーリー』は引退発言後に、樋口さんが主夫になってから書いた長編という意味ではまぎれもない復帰作である。内容は以下のようなものだ。 ――――――――――――― パパ友どうしの恋。 ゴーギャンにはなれない、おまえも、俺も。一度きりの人生を、後悔して生きていく。後悔したことさえ忘れて。 有田豪儀と鐘山明人は、同じ保育員に子どもを預けている。とはいえ、豪儀はファンドマネージメントのCEOで多忙を極めているため、朝、娘の亜梨を保育園に送っていくだけ。対して明人は、妻が美砂がタレント議員でこれまた多忙のため、ワンオペ、育児かつ家事全般を請け負っている。 互いに顔見知り程度だったが、ある日、明人はLINEで豪儀を飲みに誘う。「お互いイクメンとして妻の悪口を言い合おうよと」。その晩、ゲイ不倫という地獄の釜の蓋が開いたのだった−−。 これは復讐なのか? 完璧な妻に対して、自分より稼ぐ妻に対しての。 ミソジニー、嫉妬、仕事ができない焦り、不公平感......ゴーギャンになりきれなかった男たちの思いが炸裂し、疾走する! ―――――――――――――  ふたりの父親による、パパ友同士のBLという、これまでの樋口作品からはあまりにも違うもののように感じられるストーリーであり、ドラマ『おっさんずラブ』がヒットしたこともあり、樋口さんもBLに寄せてきたのかと一瞬思わなくもない。 仕事をバリバリできる豪儀と、育児と家事の全てを請け負っている主夫の明人という対照的な二人が友情を育むだけではなく、それを越えてしまうという同性愛不倫が話のメインになっている。 互いに損なわれてしまったものを求め合うような、補うような関係性は男女の恋愛モノだけのものではないし、主婦をしている女性にも明人の主夫として感じていることや家事育児の大変さについて共感する人は多いのではないだろうか。 彼らは家庭では父として夫として役割を担っているが、どこか家族になってしまった妻との関係や、自身の仕事においての力量や将来について感じていることを誰かに伝えたくてもできない。それがたまたま子供が同じ保育園という縁で知り合った年も離れたふたりが飲み友達では終わらずに、同性だが体を重ねてしまうということはどれだけの人が理解できるのだろう?  実際問題として、共感をする人は多いのではないかと読み終わって僕は感じた。そもそも、樋口毅宏引退作品である『太陽がいっぱい』で描かれた昭和プロレスにしても、ホモソーシャルな関係性がある。今作は樋口作品では初のBLというニュアンスだが、彼が描いてきた小説にはどれもホモソーシャルな男性社会が描かれていた。 どヘテロな男性が樋口毅宏作品の主役だったとも言えるだろう。そう考えると新作におけるパパ友の恋はさほど違和感がない、延長線上のようにも思えてくる。また、『おっさんずラブ』のようなBL的な需要とは少しズレているということも感じる。  『東京パパ友ラブストーリー』における樋口作品におけるシスジェンダー男のヘテロが持っている、あるいは所属しているホモソーシャルな関係性と、『おっさんずラブ』をはじめとする所謂腐女子と呼ばれる人たちが好むBL的な関係性や、そのはじまりとしての「花の24年組」の漫画家たちが描いた少年同士の性愛とその身体性、そこからコミケを通じて広まってBLに発展したやおい文化というのは男性同士の性愛を描いていても、受け手の求めるベクトルがそもそも違う質のものであると言えるだろう。  樋口毅宏作品をデビュー作から読んできた者としては、今作が小説家としての「復帰作」と言える。テレビにも出てタレント活動もしている弁護士の奥さんと結婚し、作家を引退してから子供をもうけて主夫をしている樋口さんがこの作品を書かないといけなかったわけを僕なりに考えてみた。  昨今の#me too問題などの女性差別やミソジニーに対してのファミニズムの発言や運動で、男性はそれまで当たり前だったと思っていたものが崩れていると感じている。そんなことをいったらセクハラになるなら女性とは話せないなどという発言もネットで見たり聞いたりもする。そもそも家父長制の中で育ってきた男子が母や姉や妹よりも家の中では偉い存在として扱われてきたこと、あるいは社会に出てからも同じ能力でも女性の方が所得が低かったり、出世が遅れるということが当たり前にあった。もう、そういう時代ではないのでいい加減にそんな意識を変えていかないといけないのは自明のことである。しかし、今まで当たり前だと思ってきたものを急に変えるのはなかなか難しい。 ウォール・ストリートの超高給取りたちですら、女性と話したり飲みにいったりするとどこでセクハラだと言われて、自分のキャリアを失うかもと男同士でつるむのが一番ということになっているというニュースもあった。  妻と子供がいる夫が不倫するのがほかの女性というわけではなく、同性のパパ友であることが、現在の男女関係においてのリアルさに通じている部分が今作にはある。 というのが一般的に考えられるこの作品のBL要素が描かれた理由として考えられるのだと思う。 著者の樋口さん自身も育児エッセイ『おっぱいがほしい』で書いているように、結婚したら妻が変わってしまったとおもしろおかしく書いていて、育児に関しても自分がやっているのがわかる。離婚だ!と喧嘩になるという赤裸々なことも書かれるが、やはり子供は可愛く離れたくないという親心も感じさせる。そういう状況において樋口さんが浮気をするだろうか? チャンスがあればするかもしれないという可能性はないとは言えないが、今作で出てくるふたりの主人公は樋口毅宏という個人であり小説家の部分が半分に分かれて投影されているキャラクターに思えてくる。 つまり豪儀と明人が結ばれるということは、妻以外の女性に手を出せない夫としての樋口さんの半身同士が求めあっている形に見える。自分同士がセックスしているというとニュアンスがわかりづらいかもしれないが、それは再生するために半身同士で再統合しているように思えてくる。 内容説明にある「パパ友どうしの恋」というのは、そのことをうまく示している。恋はひとりでもできるはずだから、しかし、愛にはたどり着かない。愛には他者の存在が必要になってくるからだ。  かつての自分と今の自分をこの先の未来に生かすために再統合させたのだとすれば、この先も小説を書いていくという意思表示になるだろう。だからこそ、この『東京パパ友ラブストーリー』は樋口毅宏復帰作と言えるのではないだろうか。あとはすぐにまた引退と言いださないことを祈るのみだ。 文/碇本学(Twitter : @mamaview)

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転機は小学校時代 稀代の"メモ魔"「SHOWROOM」前田裕二社長が教える「メモ術」
転機は小学校時代 稀代の"メモ魔"「SHOWROOM」前田裕二社長が教える「メモ術」 アーティストやアイドルなどの配信を無料で視聴できるライブストリーミングサービス、「SHOWROOM(ショールーム)」事業を立ち上げたことで脚光を浴びた起業家・前田裕二さん。  今や時代の寵児として知られる前田さんですが、実はその前半生は過酷なものでした。8歳で母親を亡くし、10歳年上の兄が苦労して育ててくれたこと、兄を喜ばせるために、学習塾にも行かずに必死で勉強し早稲田大学政治経済学部に入学したこと。貧困の中、小学6年生から路上でギターの弾き語りをして、投げ銭で稼いでいたという体験を、ライブ配信サービス「SHOWROOM」設立へとつなげた経緯は、2017年刊行の前著『人生の勝算』(幻冬舎刊)にも詳しく綴られています。  そんな前田さんが、自身が実践しているメモ術を明かしているのが、今回ご紹介する新著『メモの魔力』。365日、驚異的な量のメモを取っている"メモ魔"で有名な前田さんですが、きっかけは小学生時代にあると言います。  もともとノートを取るときに、板書を書き写すだけでなく、自分なりに気付いたことを書き加えたり、シールや色分けで創意工夫したりすることが好きだったそうですが、小学6年次の担任教諭「吉野先生」が、その姿勢を評価してくれた影響が見逃せないと振り返っています。  本書の中では、吉野先生が、前田さんのノート作りに目を留め「みんな、前田くんのノートを見習って!」(本書より)と手放しでほめてくれた思い出を、以下のように述懐。  「今考えれば、僕のノートが本当に優れていたのかどうかは、もはやわかりません。もしかしたら、両親を亡くして、塞ぎ込んで友達もあまりいなかった僕に対して、励ましたいという必死の想いでそんな行動をとってくれたのかもしれません」(本書より)  環境に恵まれなかった幼少期のエピソードを交えつつ、前田さんオリジナルのメモ術メソッドを詰め込んだ本書。日々を漫然と受け身に過ごすのではなく、能動的にメモを取ることで意識を変え、結果的に人生を好転させようという前田さんの起業家スピリッツが横溢した1冊と言えるでしょう。
積水ハウスなど不動産のプロが騙された"地面師詐欺"の手口に迫る迫真ドキュメント
積水ハウスなど不動産のプロが騙された"地面師詐欺"の手口に迫る迫真ドキュメント 2018年8月に公表された、積水ハウスが地面師グループから詐欺被害に遭った事件。不動産のプロである大手住宅メーカーが55億円以上もの大金をだまし取られたという衝撃のニュースは、まだ記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。  "地面師"とは「他人の土地を自分のもののように偽って第三者に売り渡す詐欺師」(大辞林より)のこと。終戦後の混乱期、そして1980年代後半のバブル経済期に出現したこの「地面師」という詐欺集団が、実は今ふたたび日本中で跋扈しているといいます。彼らは不動産の持ち主になりすまし、勝手に他人の不動産を転売して大儲けしているのだとか。 本書『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』では、積水ハウス事件をはじめ、新橋「白骨死体」事件、アパホテルが騙された「溜池駐車場」事件、台湾華僑になりすました「富ヶ谷事件」など昨今の地面師詐欺事件を紹介しながら、その複雑かつ巧妙な手口や実態を暴いています。  中でもやはりスケール、被害金額ともに群を抜いているのが冒頭でもふれた積水ハウス事件。ある地面師グループが東京・五反田にある老舗旅館「海喜館(うみきかん)」を70億円で売買する契約を積水ハウスと結び、実質的には55億円以上をだまし取ったわけですが、この犯行計画の中心にいた人物が内田マイク、北田文明、カミンスカス(小山)操です。まず内田はなりすまし役の手配師である秋葉を通じて、海老澤佐妃子(旅館の持ち主)のニセ者である羽毛田、その内縁の夫・前野役の常世田を用意。免許証、パスポート、印鑑証明なども偽造したうえで契約を交わしたといいます。本書では内情がさらに詳しく書かれていますが、用意周到で手が込んだやり口には脱帽するばかりです......。  とはいえ、積水ハウスとて日本屈指のディベロッパーであり不動産のプロ。なぜこうもコロッとだまされてしまったのか......。実は今回の地面師グループはほかにも複数の会社に取引を持ちかけていたことがわかっていますが、他社は不審に感じたため契約にいたることはありませんでした。しかし、積水ハウスは「積水は騙されている」という内容の警告文書が送られてきていたり、売買の決済直前になりすまし工作がばれそうになったりがあったにもかかわらず、詐欺を見抜くことができず仕舞い。もちろん積水側は詐欺に遭った被害者ではありますが、本書を読むと、いくつもの落とし穴や杜撰な対応が重なり今回の事件は起きたのだと感じられます。  その後、積水ハウスは会長が責任をとって辞任することとなり、件の地面師グループは現在のところ17人が逮捕されています。しかし、警察の捜査により犯行グループを摘発した事件もある反面、捜査が難航し立件にいたっていないケースや不起訴に終わるケースも多いと作者の森氏は記しています。「地面師事件では、何億、何十億という現金を手にしてきた犯人が間違いなく存在する。しかし、仮に何人かの犯人が捕まっても、肝心の金の行方は杳として知れない。黒幕や頭目が罪に問われることもめったにない」と。事実、積水ハウスがだまし取られた55億円超の金は闇の住人たちの手で分配され、すでに溶けてなくなったとみたほうがいい、としています。  まるで犯罪小説でも読んでいるかのような気分にさせられますが、これらは実際に日本で起きていること。全国の不動産関係者や銀行員、司法書士などはもちろんですが、それ以外の人にとっても必読の一冊といえるかもしれません。なぜなら地面師たちはいつ、私たちや私たち家族の土地を狙っているともわからないのですから。
やわらかな光のように再生する... 4つの国を舞台にした物語
やわらかな光のように再生する... 4つの国を舞台にした物語 東ティモール、ラオス、南インド、日本の九州にある南西諸島という、国も環境もそれぞれにまったく違う四つの舞台を物語る小説『うつくしい繭』。タイトルにもなっている表題作は二編目のラオスを舞台にした作品から取られている。  著者である櫻木みわさんは、プロフィールによると大学卒業後にタイの現地出版社に勤務し、日本人向けのフリーペーパーの編集長を務めた。その後、東ティモール、フランス、インドネシアなどに滞在し、帰国後に作家であり思想家・東浩紀氏が代表を務める『ゲンロン』で主催された「ゲンロン 大森望 SF創作講座」を受講。第1回ゲンロンSF新人賞の最終選考に選出され、今作でデビューとなった。という経緯もあり、この単行本には「ゲンロン 大森望 SF創作講座」での課題提出作品などが含まれている。もちろん、単行本化されるにあたり、大幅な加筆改稿がされている。  最初に収録されている東ティモールが舞台の『苦い花と甘い花』を読んでみてほしい。そこには異国であるはずのラオスの空気、暑さや路上に舞う埃、土の暖かさと貧しいものと富めるもの、生きている人々の生活がしっかりとした輪郭で描かれている。  もしかすると、主人公であるアニータが最後に取る行動に驚く人もいるかもしれない。しかし、彼女の行動を誰も否定できないとも思う。同時に、彼女が生まれた時から備わっていた能力もここである変化を見せる。この能力はある種のシャーマン的な能力であり、この異能の力は超能力だったり魔法だと、違う場所では呼ばれるような力でもある。四編にはそのシャーマン的な能力によって繋がっているものがあり、連作短編ではないが、世界観を共有するものとなっている。その世界観を大きな繭と言い換えることもできるかもしれない。    四編それぞれの作品の主人公は女性であり、彼女たちがやわらかな光のように再生する、物語たちだった。  読んでいて非常に心地いいのは、きちんと生活が描かれていることもあるのだろう。それぞれの国において、彼女たちの生活と直結する食事風景やその描写が、生命力や時間に彩りを与えているのもこの小説の素晴らしさのひとつだ。  食べて、飲んで、笑って、泣いて、歩いて、寝て、起きて、朝日が昇って、夜空を星が舞い、同じようで違う日がまた訪れる。その度にわたしたちは実は毎日、再生をしているはずだ。そのためには日々の生活の豊かさを知ることであり、生きる喜びに満ちた衣食住が大切なものとなってくる。しかし、残念ながらわたしたちは日々にこなさないといけないことが多過ぎて忙殺されてしまっている。だからこそ、彼女たちは儀式のように「再生」するために自分を見つめて、日々や自然や時間の豊かさを知ろうとする。あるいは誰かによってそのことを知らされるのである。  繭の中の蚕は品種改良されて、そのほとんどが自由には飛び回ることができないという。長い時間をかけて飛べないように品種改良されたのが現在の蚕たちだ。しかし、飛べる遺伝子を持つものを何代も掛け合わせていくと、繭から出ても飛べるような蚕が現れるようになると聞いたことがある。  収録されている作品の主人公の誰もがそのいわば「美しい繭」の中に入っていく。そして、その中でいつもと同じ肉体を持つ自分でありながら、それまでとは違う自分になって繭から舞い上がる。それはやわらかな光に導かれた再生のように。  櫻木さんはまるで四編目の『夏光結晶』に出てくる「珠」のように、多層な現実、過去、未来、幻想、自然、時間、空間、次元のイメージを読者に喚起させ想像させることができる小説家だと思う。それによって、ひとりの人間の個にある心情風景たちがさざめき、彩りを強くしながら過去から現在にいる自分につながり、未来へ向かわせてくれる。  そう、わたしたちは手を伸ばし、ほんの少しだけ先の未来に触れることができる。
「ヤバそうだから食べてみよう」!? 辺境旅ではなんでも食べるべし
「ヤバそうだから食べてみよう」!? 辺境旅ではなんでも食べるべし 本書『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』の著者である高野秀行さんは、「子供の頃から胃腸が弱く、好き嫌いも多かった」と言います。大学探検部の遠征でアフリカのコンゴへ行ったときに食料がなくなり、サルやヘビなどの野生動物を食べることに。それをきっかけに「食の可動域」が広くなったのだとか。  辺境の地に行くと、日本の都市部では見ない料理や酒に出会います。最初は「ヤバそうだけど食べてみよう」と思ったものが、「ヤバそうだから食べてみよう」に変わっていったという高野さん。辺境旅で現地の人に溶け込むためには、同じ生活を送ることが重要。なにを出されても同じものを食べることで一気に溶け込むことができるそうです。  では実際に高野さんはどんなものを食べてきたのでしょうか。まず紹介したいのは前述した大学時代のコンゴへの旅。高野さんたちはここでゴリラの肉を食べることになります。同行していたコンゴ人動物学者が「ゴリラは国際保護動物だ。狩って食べてはいけない」と忠告したにも関わらず......。  というのも、次の日、この動物学者本人がゴリラに襲われ、慌てて銃で射殺してしまいます。村は食糧不足に陥っていたため、それがきっかけで村人によってすぐにゴリラは解体され、塩と唐辛子のみの味付けで煮込まれることに。「クジラの肉がもっと筋張って固くなった」ような、噛んでいると顎が痛くなるほど固い肉だったそうです。  もちろん、辺境メシは日本にも存在します。広島県三次市では郷土料理から発展した「ワニバーガー」が。ワニとは古語で「和邇」と書き、今でいうサメのこと。出雲地方では今でもサメのことを「ワニ」と呼び、「ワニバーガー」を頼むとサメの肉を挟んだハンバーガーが食べられます。  ワニを刺身で食べるとクジラに似ていると高野さんは感じたそうですが、加熱された「ワニバーガー」では一変。がっしりしたクジラとは違い熱に弱く、ほぐれやすい肉になるそう。刺身と「ワニバーガー」の両方が食べられるお店に行けばそのギャップを楽しむことができるでしょう。  他にもペルーでのヘビ料理など、高野さんが体験した様々な辺境メシが本書では楽しめます。ちなみに高野さんは、辺境メシによって胃腸が強くなったわけではないそうで、国内外でよく寝込んでいるのだとか......。それでも知らない食の世界への探求心のほうが強いと語っています。高野さんの興味は世界各地の伝統食品にあるそうなので、またそちらも本として出版されるかもしれないですね。
年齢とともに男性のお腹に肉がつくのは悪いことばかりじゃない!?
年齢とともに男性のお腹に肉がつくのは悪いことばかりじゃない!? 年末に立て続けにあった忘年会、そして家でゴロゴロしての寝正月......。「ああ、ますますお腹に肉がついてでっぷりしてきたぞ」とお嘆きの男性も多いのではないでしょうか。見た目や健康上の理由から何かと目の敵にされる「肥満」ですが、実はそこには驚くべき進化上のメリットが隠されている、というのが本書『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!』の著者リチャード・ブリビエスカス氏による主張です。  トンデモ健康本の提唱ならいざ知らず、ブリビエスカス氏はイェール大学の人類学、進化生物学、生態学の教授であり、その著作と研究により数々の賞を受賞しているれっきとした研究者。それだけに本書の内容もあながち間違いではない......どころか、まったく新たなエイジングが見えてくるとして、『ウォール・ストリート・ジャーナル』や『サイコロジー・トゥデイ』など多数メディアで絶賛されているのです。  では老化により筋肉が落ち胴回りの脂肪が増えることは、いったいどんなメリットがあるというのでしょうか?  第3章の「お腹のぜい肉にもメリットあり」では、まずは筆者の考えを述べています。男性は若いころは狩猟や女性をめぐる競争に勝つために筋肉を発達させる進化上の利点があった。けれど、高齢期になり筋肉の一部が脂肪へと変化することで、生殖の機会ではなく「育児」に必要な養育投資を女性に提供するという役割に切り替えられていくということではないかと投げかけています。  そのうえで、第5章では「高年齢男性が老化による身体的な影響を活かして、一夫一婦型のペア形成と父親による養育をおこなう能力を進化させたと提唱したい」とする筆者。そしてこの「年齢によって促進される脂肪の蓄積などの肥満傾向というものが人類の進化過程で活用され、父親の生存率が高まったり、配偶者を探す行動が抑えられたり、父親による養育を支持するホルモン環境への移行が進んだりすること」を「ぽっちゃり父さん仮説」と名付けています。  年齢を重ねるにつれ肥満になっていくことには、実は人類進化上でこのような利点があったとは......。これまでに出会ったことがない(少なくとも私は!)なんとも斬新な考え方ではないでしょうか。  いっぽうでは、高年齢男性が政治権力や経済力を握ることでのデメリットや同性愛の高年齢男性に関する心身の健康といった洞察もおこなわれており、一方的な視点でないのが好ましいところです。  こうして見てみると、ぽっちゃりしているのは悪いことばかりじゃないと皆さんも少しは感じ取れたでしょうか。若いころのズボンが入らなくなってきた男性も、そんな男性を夫に持つ女性も、この本を読んだ後は男性のお腹の脂肪がなんだか愛おしくなってくるかもしれません。
真っ白な詩篇が雪のように舞った先の ハン・ガン『すべての、白いものたちの』
真っ白な詩篇が雪のように舞った先の ハン・ガン『すべての、白いものたちの』 ニュースやSNSを見ているとどうして近くの隣国を貶めるような、差別的な発言をする人がこんなにもいるのだろうと首をかしげることが多々ある。例えば嫌韓とプロフィールに書いている人のヘッダーや画像には、一定の共通項が感じられる。  「私」というものに自信や誇りが持てなくなった時に、自分を託すものや根本として支えてくれるものが国家や民族になってしまうのは、揺らがないと思っていたものがどんどん崩れ落ちてしまった結果だろう。そういう人の多くは、かつて日本が経済大国だったという過去の栄光に囚われたままで、この現実を見れていないのだ、とも思う。  もし、国家が消滅したりしたらどうするのだろう? 自分たちが移民にならないなんてどうして思えるのだろう。  自分ではない他者についての想像力がなければ、自分と他者の尊厳を守ることなんかできないはずなのに、そんな当たり前のことがなんだか抜け落ちてしまっている。  と思う反面、グローバリズムとインターネットが生まれた時に当たり前にあった若い世代は、近いアジアの国、韓国や中国や台湾などに国境という境界線がないようにフラットにその国々のカルチャーを受容し交流して、楽しんでいる姿も見受けられる。ゼロ年代には、どこか海外のカルチャーを閉ざすような内籠りのようにガラパゴス化していた部分があったのがまるで嘘みたいに思える。  近年では、華文(中国語)ミステリーである陳浩基著『13・67』が本読みの間でも評価が高く、大きな話題になった。また、日本語で読める韓国小説のレーベルも「新しい韓国の文学」や「韓国文学のオクリモノ」といったものも出てきて、同じアジアの文学作品が読みやすい環境が少しずつ整いだしている。  今回は「新しい韓国の文学」シリーズの第一作目になった『菜食主義者』の著者ハン・ガンの新たな代表作と言われる、『すべての、白いものたちの』について。ちなみにハン・ガンは『菜食主義者』で2016年には世界でも権威のある文学賞の一つであるブッカー賞を受賞している。  ハン・ガンの最新刊『すべての、白いものたちの』はタイトルにもあるように「白」から連想されるものたち、チョゴリ、白菜、産着、骨などといったワードと共に掌編のような文章が連なっていくものになっている。それぞれが1、2ページほどの文量で構成されている。また、紙も何十ページか毎に違う色合いになっていて、時折挿入される写真も、装丁の写真のようになにも言わないのにとても雄弁である。  人間が生まれて死んでいくまでに感じていく、経験していく、伝わっていく、「白さ」をまるで詩のような文章で構成している。  生まれたての子供に着せる産着、亡くなった時に着せる壽衣の白さ。  自分よりも前に生まれて死んでいった者への想い、異国の地で見上げた空から降ってくる雪、その「白さ」に包まれた生者の日々について綴られている。  詩篇のように綴られた言葉たちが、まるで紙片のようになって雪と同化して大地に降り注ぐように、ゆっくりと舞いながら落ちてくる速度、その確かさがこの作品にはある。  手のひらに落ちた雪がすぐに溶けて透明な水滴になってしまうような速さで、この小説に書かれた言葉たちも読み手の中に入ってくる。  あるいは、ふうっと息を吐けばひらひらと舞うかのような、ふわふわの真っ白な綿菓子が水にあっという間に溶けるように、一気に読み終えてしまう。しかし、溶けて形の変わった「白さ」だけは読み手の中にとどまり続ける。そして、その「白さ」には人肌のような体温があり、同時に無機質な冷たさもある。  そう、私たちの一生にある「白さ」をもっと身近に感じられる小説になっている。  『すべての、白いものたちの』は韓国小説を読みたいという人だけではなく、今世界に蔓延している窮屈さや、無限に増殖し考えることを放棄させようとする情報量の前で、気持ちを砕かれているような人に届いてほしい。  私たちのいつも側にある「白さ」がもっと世界を豊かなものへ、そして自分ではない誰かにもっと寄り添えるような優しさを与えてくれるはずだから。  きっとこの小説に書かれた言葉たちがそっと背中を押してくれる。

特集special feature

    久世光彦著『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』は辞書代わりの一冊------アノヒトの読書遍歴:浜田真理子さん(後編)
    久世光彦著『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』は辞書代わりの一冊------アノヒトの読書遍歴:浜田真理子さん(後編) 歌手、ミュージシャンのほかエッセイ執筆など多岐に渡る活動をする浜田真理子さん。様々なフィールドで活躍を続ける一方で、本から美しい言葉づかいや言い回しを学ぶこともあるといいます。そんな浜田さんに、前回に引き続き日頃の読書生活について伺いました。
    寺田寅彦著『柿の種』のフレーズにはドキッとさせられた------アノヒトの読書遍歴:浜田真理子さん(前編)
    寺田寅彦著『柿の種』のフレーズにはドキッとさせられた------アノヒトの読書遍歴:浜田真理子さん(前編) 歌手、ミュージシャンとして活動する浜田真理子さん。98年に発売したファーストアルバム『mariko』がメディアに採り上げられたことをきっかけに、楽曲が映画『ヴァイブレータ』挿入歌へ起用され話題に。ここ数年は都内を中心に、年に数回コンサートを開催するなど勢力に音楽活動を続けています。今年6月には7枚目のアルバム『NEXT TEARDROP』をリリースした浜田さん。そんな浜田さんに、日頃の読書生活についてお話を伺いました。
    山田ルイ53世渾身のエッセイは笑って泣ける!? 大人気連載が大幅改稿&加筆で登場
    山田ルイ53世渾身のエッセイは笑って泣ける!? 大人気連載が大幅改稿&加筆で登場  お笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世が、なりたい自分になれなかった全ての人たちにおくって書いた著書、それが『一発屋芸人の不本意な日常』です。  これは、withnewsの人気連載を大幅改稿&加筆して刊行されたもので、自ら「負け人生」と語る山田ルイ53世の日常をコミカルにつづった、切なくも笑えるエッセイです。  山田ルイ53世は1975年、兵庫県生まれ。地元の名門・六甲学院中学校に進学するも、引きこもりに。その後、大検に合格し、愛媛大学法文学部に入学しますが中退。1999年、ひぐち君と髭男爵を結成し、現在に至ります。前著『一発屋芸人列伝』(新潮社)は、「本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞」にノミネートされ、「第24回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞するなど、話題を集めました。  本書刊行に寄せ、山田ルイ53世はこんなコメントを寄せています。  「一発屋は、人生のしおり、記憶のポストイット。入学、卒業、結婚、出産といった人生の節目の場面には、『そういえば、あの頃はあの芸人のギャグが流行っていたなー…………』と必ず僕達の姿があります。この本もそうなれば幸いです。」  山田ルイ53世渾身のエッセイ、もしかしたら読んだ私たちも自分の日常をふと振り返るきっかけになるかもしれません。
    気鋭のメイクアップアーティストによる"失敗メイクから学ぶ正解メイク"
    気鋭のメイクアップアーティストによる"失敗メイクから学ぶ正解メイク" 数年前に巷の女性たちの間で一大ブームとなった「オフェロメイク」。お風呂上がりのようにほんわかと血色したおしゃれでフェロモンたっぷりなメイクのことをいいますが、これを生み出したのがヘアメイクアップアーティストのイガリシノブさんです。  オフェロメイクといえば鎖骨上に塗って火照ったような感じを演出するのが特徴ですが、見ていると中には「やりすぎでは?」なーんて思ってしまう女性もチラホラ......。これについてはイガリさん自身も本書で「チークを頑張りすぎて、頬の血色だけが独り歩きしちゃっている感じの女の子、意外といたな......。チークの横幅を広げすぎて、酔っ払い風になってしまっている子も......」と述懐。「やりすぎたら誰だって歌舞伎顔。バランスチェックを習慣に」とアドバイスしています。  こんなふうに、イガリさんの「少しの思い込みや、"あちゃー、やっちゃってるなそれ"といったことに気づいてもらえたら、それぞれの技術が向上して、自分ともっと楽しく向き合えるのではないか」という思いから生まれたのが本書『裏イガリメイク、はいどうぞ』。テーマはズバリ、"失敗メイクから学ぶ正解メイク"なのだとか!  イガリさんというと、若いコ向けのメイクといったイメージを抱いている人もいるかもしれません。もちろん、メイク大好きな10~20代の女のコがもっともっと可愛さを持続できるような正解メイクの提案も本書ではしています。けれどいっぽうで、本書はイガリさんと同年代である30代40代女性へのメイク指南も盛りだくさん!  「5歳若返りたくて日々メイクしているのにhow toが正しく更新されていないから逆に+10歳になってるから~!」なんて失敗メイクへの笑いとツッコミなんかは、思わずうなずいてしまう皆さんも多いのではないでしょうか。私自身もそうなんですが、メイクも10年20年と続けているうちに自分のやり方が染みついてしまってアップデートがなかなかできなくなるんです......!  だからこそ、本書に出てくる「昔の自分は過ぎ去ったの。今の自分を輝かせる方法を知る努力を」「凛としたシャープさを取り入れるのが大人メイクのルール」「自分の顔に見慣れない」といった言葉の数々は心に沁みるものが。  でも、じゃあどうしたらいいの......? そんな心の声にも本書ではちゃーんと答えをくれています。たとえば、「赤リップ」といえばいつだって女性の味方でいてくれるアイテム。けれど、赤とひと口に言っても本当にさまざまな赤があるんですね。本書では「ウラハラなおしゃれ感 透け赤」「元気な日はコレにキマリ 王道の赤」「時にはお姉さん気分 ローズ赤」など、なりたい気分にマッチする赤リップを教えてくれます。  ほかにも、コンシーラーといえばもともとはクマやニキビ、シミをポイント的にカバーするアイテムでしたが、今では"ただ隠すためのもの"ではなくなったというイガリさん。ファンデーション代わりに肌を作ることもあるそうで、タッチペン、スティック、パレット、チップといった4タイプのコンシーラーをあげ、それぞれの特徴や使い方などを薦めています。  メイクのマインド的な部分が多い本書ですが、こうして見ると意外と実用度も高いことがおわかりでしょうか。また、紹介されているアイテムはどれもブランド名や品番まで掲載されているので、実際に購入して取り入れやすいのもありがたいところです。  今以上に可愛くなりたいメイクに貪欲な女性はもちろん、メイクのハウツーが更新されず正解が何かわからなくなってしまっている女性にもおすすめの『裏イガリメイク、はいどうぞ』。新しい年をむかえることですし、気持ち新たにメイクもアップデートしてみるのはいかが?
    あの独裁者も◯◯中毒だった!? ヒトラー、ケネディ...国家のトップたちのカルテとは
    あの独裁者も◯◯中毒だった!? ヒトラー、ケネディ...国家のトップたちのカルテとは 当時"戦犯"とされた人物を父親に持った子どもたちのその後の人生をたどった前著『ナチの子どもたち: 第三帝国指導者の父のもとに生まれて』(原書房)でデビューした、作家タニア・クラスニアンスキ。  2作目となる『主治医だけが知る権力者: 病、ストレス、薬物依存と権力の闇』で取り上げるのは、ヒトラー、スターリン、毛沢東など8人の為政者と、それぞれの主治医たち。驚くべきことに、同書によれば、彼らの中には薬物依存状態、いわば"薬漬け"だった人物が少なくないと言います。  たとえば、独裁者アドルフ・ヒトラーの場合。同書によれば、ヒトラーが頼り切りだった主治医のテオドール・モレルは、「帝国注射マイスター」「メフィスト」「死の商人」(同書より)との異名をとった人物。ヒトラーはモレルから精神安定剤はもとより、コカイン・モルヒネなどの薬物のほか、鬱症状を改善させるために、なんと「雄牛のホルモン」まで注射されていたこともあったのだとか。  実は、ヒトラー同様に"薬漬け"だったのが、かのジョン・F・ケネディ大統領。その当時、健康状態が悪化していたケネディ大統領は、主治医マックス・ジェイコブソンから長期にわたってコカイン、ホルモン剤を投与されていました。ファーストレディのジャクリーン・ケネディともども、覚醒剤のアンフェタミン過剰摂取による依存状態に陥っていたと本書には書かれています。  国家元首と主治医との関係性を主軸に据え、従来の伝記や評伝とは一線を画して、丹念に歴史を振り返った同書。日々強いストレスにさらされていた最高権力者たちのカルテという視点から捉え直すと、彼らへの印象もまた違ったものになりそうです。
    エッセイの名手・酒井若菜 不倫がテーマの処女作がファン待望の復刊
    エッセイの名手・酒井若菜 不倫がテーマの処女作がファン待望の復刊 女優・酒井若菜さん。かつてトップグラビアアイドルとして君臨し、宮藤官九郎さん脚本のドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS系)や、松尾スズキさん監督の映画『恋の門』以降は演技の道で頭角を現し、いまや演技派としてすっかりおなじみです。最近ではテレビドラマ『透明なゆりかご』(NHK)で主人公の母親役を熱演していたのをご記憶の方も多いのではないでしょうか?  エッセイストとしての評価も高い酒井さんは、自身のブログ「ネオン堂」の執筆はもとより、最新作『うたかたのエッセイ集』(キノブックス刊)をはじめ、『心がおぼつかない夜に』(青志社刊)など、"書き手"としても際立った才能を見せています。  2016年刊行の『酒井若菜と8人の男たち』(キノブックス刊)では、男性芸能人との対談と、対談相手それぞれに向けたエッセイを収録。同書では、10代の頃から自己免疫疾患の難病・膠原病(こうげんびょう)を患っていることをカミングアウトしたことでもメディアの耳目を集めました。  本書『こぼれる』は、そんな酒井さんが2008年に初めて描いた小説作品の復刊。物語は、人間同士の関係性を立体パズルのルービックキューブになぞらえて、こんな書き出しで始まります。  「本人も気づかなかったある一面が、他人には見えることだってあるのだ。その場合、極端に言えば、自分が誰かにとっての『加害者』になっている可能性もないとは言えない。物でも人でも、角度を変えて見れば全く違う存在になるのに。その時に『加害者』という一面が自分の中に突然現れたら」(本書より)  本書の22歳の主人公・雫は、器用な生き方ができない憎めない女性。やがて妻子ある男性と恋に落ち、いわゆる不倫状態に陥るのですが...。連作短編集というスタイルで、登場人物4人―--雫・雫の不倫相手・不倫相手の妻・雫に片思いする男性―--それぞれの視点で紡がれる物語は、さながらルービックキューブのように多面的な構成を取っています。  人との関係性、こと恋愛関係においては誰しもが加害者であると同時に被害者にもなり得るという、人間の愚かさと切なさを端然と描く本書は、書き手・酒井さんの魅力を存分に味わわせてくれる、渾身の1冊と言えるでしょう。

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